MAZDA4 フォードの呪縛がトヨタとの提携に背中を押す 

 1996年5月、マツダは米フォードからの資本出資比率を24・5%から33・4%に引き上げることを決め、経営権を事実上手放します。フォードとは1979年から資本提携関係にあったとはいえ、完全に傘下に入ります。社長はヘンリー・ウォレスさん。財務の専門家です。マツダの個性はロータリーエンジンを指揮した山本健一社長に代表されるようにクルマ造りにはめちゃくちゃ前向きですが、お金の使い方は決して巧みではありません。同じ中堅メーカーのスズキの鈴木修さんは工場に1円が落ちていると言って歩き回り、コスト管理を徹底していました。しかし、マツダは良いクルマを造るならがすべてに勝り、コスト計算は得意じゃなかったようです。それだけにウォレス社長は見た目は温厚な紳士ですが、マツダの社風をフォード流で変革する威力は十分ありました。

ウォレス社長はフォード流で大胆に改革

 なにしろウォレス社長を待ち構えていたのは、巨額の負債と販売不振でした。生産台数は大幅に落ち込み、工場の操業率は低下します。無駄なコストがどんどん膨らんでいました。売り上げや生産台数に対して過剰はマツダの車種数、販売チャネルを削減する一方、保有資産や開発投資もどんどんカットします。

 これまでマツダ、通産省、住友銀行と出身母体が3代に渡って異なる社長が続きましたが、会社が倒産寸前に追い込まれても大鉈を振るえたかどうか。通産省や住銀の出身者では経費削減しなければいけないとわかっても、どこを削って良いのかわかりません。現場に任せれば、うまい具合に見かけ上のコスト削減の数字が現れてくるだけです。

 コストカッターといえば日産自動車の経営再建に尽くしたカルロス・ゴーンさんが有名で日本の自動車産業を揺るがす猛威を奮いましたが、日本のしがらみに囚われないフォード出身のウォレス社長は自動車産業のツボを知っていました。経営手腕は派手なパフォーマンスこそありませんでしたが、マツダの経営再建には貢献しました。

 大幅にダイエットしたマツダは1996年、「デミオ」を生み出します。名車です。小型車開発の底力を見せます。マツダ社内から「ボロは着てても心は錦」という歌声は聞こえてきそうでした。1997年、5年ぶりに営業黒字に転換します。

フィールズ社長はハーバードビジネス流

 1999年12月、マーク・フィールズ社長が誕生します。2年前の1997年にジャームズ・ミラー社長が就任、ブランド戦略を打ち出します。フィールズ社長はハーバードスクール出身の絵に描いたような米国経営の手法でマツダの息を吹き返そうとしました。前任者が敷いたブランド戦略を加速させるため、「ZOOM ZOOM」とクルマを運転する楽しさを米国流で表現してマツダブランドを他社と差別化する一方、国内外の生産設備のスクラップ・アンド・ビルドを進めます。

 米国流の経営をマツダに移植しようとした努力に敬意を評します。ただ、自らの周囲を英語を話す側近で固め、マツダ社内、広島などの部品メーカーからどんどん遠い存在になっていたようです。傍目からは、宙に浮いているように映りました。マツダ生え抜きの社員は「英語で説明しなくちゃならないから、廊下ですれ違った機会に説明するなって芸当ができなくなった。英語ができる人間しか評価されないんだ」と日本流と米国流の違いに嘆いていました。カルロス・ゴーン社長時代の日産社内も同じ空気でした。結局、両社ともトップと社員の距離は遠のいていきます。

財務・管理型の巨大企業の傘下で生き残る術を体得

 良し悪しはあれ、マーク・フィールズ社長時代にトヨタと提携してもマツダを守れるとの覚悟が固まったとみています。2003年、ルイス・ブース社長に代わって井巻久一さんが16年ぶりの日本人社長として登場します。生産畑の人です。開発のような攻めのタイプでありません。面白いのはその後も社長は管理畑が得意な人材が続いていること。

 今でもクルマの運転の楽しさを訴え、乗用車開発にエネルギーを注ぐマツダです。開発部門にはとても個性的な人材が多く、社長候補に名を連ねるのですが、最終的にはなんとなく経営トップの座から離れていきます。マツダに脈々と伝わるCar guyのDNAは健在のままですが、フォード傘下という大樹の陰で存続することの重要性を思い知っただけに、生き残るための新たなDNAが移植されたのだと思います。

トヨタとの提携でも消滅しない自信も体得

 それがトヨタとの提携に”がまん”できるマツダを生み出したのでしょう。トヨタは創業家の社長がワンマン経営しているかのようにみえますが、フォードと同様に会社全体が官僚化された自動車メーカーです。巨大企業を手のひらで転がすためには、どこのボタンを押せばどう動くかを知り、社長と大組織を動かす術を覚えなければいけません。マツダは体得したのです。トヨタに吸収され消滅するのではないか、といった恐怖は遠のき、フォードで体得した経験を活かせば、トヨタとともに歩むことができると確信したのでしょう。ただ、現在の豊田章男社長は取り巻きで経営陣を固める”お友達人事”でトヨタグループを指揮しています。かつてのフォード家と同じ道を歩んでいるように見え、マツダは過去の経験を振り返り慎重にトヨタとの距離感を測っているはずです。

 2015年5月、マツダとトヨタは業務提携を発表します。その4ヶ月後の9月、フォードはマツダ株をすべて売却、36年間におよぶ資本提携の歴史を終えます。呪縛から解放されたマツダは2017年、トヨタとの資本提携を決断します。30年前に引かれた伏線をなぞるようにマツダはトヨタと提携する道のりを歩んできました。それぞれの時代の人は目の前を乗り切るために必死でした。しかし、その歩みはシナリオ通りに進んでいるかのようです。会社が歩んできた過去、現在、そして未来は、誰が描いているのでしょうか。

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