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日産・ルノーが教えること⑥日産が三菱Gに?目先の苦境に惑い、自らの未来を描けず

 日産自動車が三菱グループの傘下に入る可能性がありました。日産とルノーの資本関係見直しに関連したコラムなどで複数の新聞などが伝えているので、日産と三菱グループは実際に交渉したのでしょう。

ルノー・仏政府から離脱を狙う

 正直、がっかりしました。誰にって日産です。日産は1999年以来ルノーとの資本提携に縛られ、24年間かけてなんとか両社対等の関係に持ち込みました。1990年代、経営の悪循環から逃れられない日産は生き延びるための苦渋選択でしたが、結局はフランス政府やルノーとの関係に耐えきれず、日産の実権を握っていたカルロス・ゴーンを追放しました。2018年11月のことです。

 その後、フランス政府やルノーの関係を断ち切るため、2019年にかけて日産は自ら優位な資本関係を構築するために三菱グループと資本強化を画策したそうです。当時、ルノーはフィアット・クライスラー・オートモービルズとの経営統合を検討していましたが、直前まで日産に連絡がなく、お互いの信頼関係は消え失せる寸前でした。

日産、三菱自、三菱商事が検討

 読売新聞によると、日産の西川広人社長、三菱自動車の益子修会長、三菱商事の小林健会長の3人が、ルノーに打診しそうです。三菱商事などがルノーから日産株を買い、日産への出資比率を引き下げて、日産はルノーグループから三菱グループへ転身するシナリオです。日産は2011年から三菱自動車と軽自動車の開発・生産などで提携していましたが、2016年5月に経営不振が続く三菱自動車の株式34%を取得し、日産・ルノーは三菱を含む3社連合に発展していました。

三菱Gにとっても渡りに舟

 三菱グループにとっても日産株式の取得は渡りに舟。三菱自動車はタイヤ脱落や燃費偽装などたび重なる不祥事・事件が続き、親会社の三菱重工業はじめ三菱グループの主要企業は自動車メーカーを保有するメリットを感じず、むしろブランドのスリーダイヤが傷つくとの心配が広がっていました。日産が三菱グループに入れば、お荷物ともいえる三菱自動車を責任を持って面倒見てくれるはず。日産、三菱双方はウイン・ウインの関係というわけです。個人的には日産が三菱グループの傘下に入った後、どのような経営戦略を展開するのかが興味がありました。

もし三菱G入りしても新たな経営戦略があった?

 もっとも、日産にも三菱にも具体的な戦略が描けていたのか疑問です。日産の西川社長は、カルロス・ゴーン氏のイエスマンと揶揄されたこともある人物です。絶対的な権力者であったゴーン氏に意見できる取締役は当時、居ません。ゴーン追放で社長に就任したものの、西川社長本人は社内の求心力を保てず自らの権力維持に躍起でした。三菱の益子会長も三菱商事出身で、紆余曲折を経て自動車の社長に就任しました。三菱商事の小林会長は三菱グループをまとめる力があるとはいえ、三菱グループが自動車産業の未来図を描いていたとはとても思えません。

 もし、日産が三菱グループに入ったとしても、結果は日産がルノーの支配から逃れただけ。決まり文句で恐縮ですが、海図なき航海へ向かったとしても、どこにたどり着くのか誰もわからない新たな旅を始めるだけです。日産、三菱の従業員から見たら、会社は存続するものの、どういうゴールに向かうのかわからない不安が増幅するだけ。

自ら経営改革し、自立することの難しさ

 結局は19年9月、日産の西川社長の不正報酬問題で辞任に追い込まれ、日産の三菱グループ入りは日の目を見ないまま、消え失せます。辞任前から日産社内の声を聞いていましたから、西川社長の辞任は時間の問題のようでした。万が一、三菱グループの傘下に収まったとしても、これまでルノーやフランス政府に翻弄されてきた経営が今度は壊れたカーナビのようにどこに向かうのか不明のまま、走行する羽目に陥ったかもしれません。

 消え去った日産・三菱を蒸し返す考えはありません。むしろ目の前の苦境を逃れるために、目の前にある助け舟に乗ってしまう不甲斐なさがとても残念です。1999年のルノー提携と全く同じ構図です。日産は自ら未来を描き、自信を持って成功する経営を構築できないのでしょうか。苦境を脱した後、経営再建しながら、新たな道筋を見つけるのはとても難しいのかもしれません。今の日産に期待したいです。

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