アフリカ土産物語(10) マンデラ追想 凶悪犯の雑居房潜入記  政治犯とは違う凶悪犯の現実

 ネルソン・マンデラ元大統領のような政治犯とは違うが、殺人や強盗など凶悪犯罪で服役する南アフリカの長期受刑者たちへのインタビューを企てた。彼らの肉声を通して南ア社会の現実を描こうと考えたからだ。唯一の方法は自分が塀の中に入ること。「まさか」と思われるだろうが、幸か不幸か実現したのである。なぜ成功したのか。もう〝時効〟だと思うので、それにも触れてみよう。

犯罪防止の鉄格子を設けたタウンシップ(旧黒人居住区)の店(2001年頃)

看守の計らいで刑務所内に

 南ア最大の都市ヨハネスブルクの刑務所。その看守をタウンシップ(旧黒人居住区)の友人から紹介されたのは2004年初頭だった。物静かな男で、取材意図を聞くと私を刑務所に招き入れた。同僚に話をつけてくれたのか、制止されることなく厳重に施錠された5カ所の格子扉を開けて長期受刑者の雑居房に潜り込んだ。世界最悪の犯罪都市と言われたヨハネスブルクの凶悪犯の牢獄である。してやったりと思った。

 「2人を撃ち殺し、ここに放り込まれて17年だ」「おれは銀行強盗で捕まった。刑を終えてシャバに出ても前科者に職はない。犯罪で生きるしかない」「刑務所に更生システムがない。出所しても邪魔者扱いだ」--。オレンジ色の囚人服の男たちがまくしたてた。

高い塀で覆われたヨハネスブルクの刑務所

 「おれはこの10年間、塀の外と内を行き来しているが、犯罪の最大の理由は貧困だ」。46歳の男が吐き捨てるように言うと、新参受刑者たちが「そうだ」と応じた。絶望のうめき声が冷たいコンクリートの床に響いた。居心地の悪さも感じつつ、彼らの後姿を撮った。

 入所してすぐに体調を崩して死ぬ受刑者もいるという。ある受刑者は「HIV感染者だ。ここの食事には栄養がない。なぜかわかるか。政府は我々を早く死なせたいのだ」と解説した。鉄格子の内側にも貧困とエイズの重苦しい影があった。

アパルトヘイト廃止後、受刑者は急増

 そのころ南アの囚人数はマンデラ大統領率いる黒人政権が誕生した1994年の翌年から7年間で63%も増加し、全土で18万3189人(2002年調査)となっていた。皮肉にもアパルトヘイト(人種隔離)廃止後の刑務所は受刑者で膨れ上がっていたのだ。

ヨハネスブルク郊外のタウンシップ(旧黒人居住区)ソウェトの仲間たち

 塀の外でもそうだが、闘争に明け暮れて教育と無縁の黒人の中高年世代は苦しい立場に置かれ、「自由にはなったが、貧しい黒人はさらに貧しくなった」との嘆きをよく耳にした。凶悪犯罪は身近でも頻発し、50代の知人女性はヨハネスブルクで白人家庭の家政婦として30数年働いていたが、25歳の孝行息子を路上強盗犯に射殺されてノイローゼに陥った。

 塀の中に充満する叫びは私の足を引き留めた。受刑者同士の暴力沙汰のほか、自分を加害者と報じた新聞記事を示し、「犯人にでっちあげられた」と冤罪を必死に訴える者も現れた。帰国が迫っていたので再取材できなかったのが悔まれる。

ヨハネスブルクの交差点で新聞を売る黒人

「名もなき看守」の英断を忘れない

 それにしても看守がリスクを負ってまで私を取材させたのはなぜだったのか。彼は口にはしなかったが、阿吽の呼吸のようなものを感じた。あのロベン島の刑務所にはマンデラに理解を示した「名もなき看守」がいた。私が塀の中に入れたのも、1人の「名もなき看守」の英断だったに違いない。(城島徹)

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