青森、阿佐ヶ谷を織り込む「重ね着」 屋台「栃木屋」の長椅子に座って「金露」を飲む
東京・阿佐ヶ谷の居酒屋で手渡されたCDジャケットは、白黒の線画でびっしりと書き込まれていました。タイトルは「哀愁の重ね着女」。表紙右上には「SNACK青森ぶるうす」の看板。「柳新」という名前の一部が見える飲み屋街の横丁で酩酊した男性が電柱に寄りかかっています。ジャケット左下に女性の上半身がヌッ。この人、重ね着しているのかな?歌い手は「うなじ&東陽片岡」。ジャケットを描いたのは東陽片岡さんで、ていねいに細部まで手描きする作家として人気を集めているそうです。
ジャケットは白黒で細部までていねいな手描き
「どこかで見た空気だなあ」。すぐに思い浮かんだのが「寺島町奇譚」の滝田ゆう。戦前、戦中の東京の私娼街・玉の井を舞台に少年の目を通して家族、友人、酔客を描いた自伝的な漫画です。
上京して東京・阿佐ヶ谷のアパートに住んだころ、駅前の喫茶店で読んだことがあります。阿佐ヶ谷には「ガロ」で活躍する人気作家が住んでいたこともあって、滝田さんの作品も喫茶店の本棚に並んでいました。「玉の井」は志賀直哉などの小説で知っていましたが、私娼街の雰囲気は知る由もありません。ただ、ジャケットの表紙は、自分が育った青森の漁港の飲み屋街そっくり。高校生のころ、飲み歩きました。
CDの歌は「中央線の女は嫌いだよと言われても離れられない、阿佐ヶ谷の街」から始まります。表紙に「青森ぶるうす」、歌詞に「阿佐ヶ谷」とくれば、もう買うしかない。「重ね着女」の意味は不明ですが、なんか言わんとすることはわかる気もします。酔った時は人恋しくなります。人肌の燗酒はうまい!
昭和40年代、毎夜10時は屋台の長椅子に
青森、阿佐ヶ谷、人肌の燗酒となれば、時空を超えて昭和40年代の阿佐ヶ谷駅前の屋台に戻るしかありません。
毎夜10時過ぎる頃、北口駅前のロータリーに開く屋台「栃木屋」へ向かいます。サカナは関西風おでん。お酒はビールと日本酒。日本酒の銘柄は「金露」。「お酒ください」と頼むと、屋台のおやじは、取手が付いたアルミ製の器(タンポと呼ぶらしい)に注ぎ、おでんとスープが入った四角い鍋にズボッと入れ、しばらく温めた後、分厚いガラスのコップに注いで渡してくれます。量は1合より少なめかな。
「うまい」。薄味でよく煮込んだおでんはうまいのですが、日本酒もやっぱりうまい。すぐに「お酒ください」。3杯まで一気に飲むせいか、屋台の常連客から「駆けつけ3杯の若造」と呼ばれていました。おやじには可愛がられていたので、何杯飲んでも1000円。お金が全くない20歳のころですから、気にせず飲み続けました。「30歳ごろになったら、一升酒だろう」と褒められているのか、注意しろと言われているのか理解できませんでしたが、おやじが深夜、笑っていたのを今でも忘れられません。
「金露」の二日酔いは猛烈
しかし、楽しい日本酒はここまで。翌朝は猛烈な二日酔いのダメージ。金露は半端ない。一緒によく飲んだ兄の友人らも、「金露は怖い」と敬遠していたほどです。
でも、やはり金露を飲み続けます。とりわけ秋から冬にかけての深夜。金露のコップ酒を飲み体がほわっと温まり良い気分に。でも、屋台の長椅子から目の前を眺めると、深夜の阿佐ヶ谷駅北口では帰宅する人たちの列が絶えません。日中ぶらぶらして夜は酒を飲むだけの若造にとって、心苦しい風景でした。
親のお金で青森県から上京したにもかかわらず、大学にも入らず、将来どうなるのかわからない。やっていることは、阿佐ヶ谷で映画を見たり古本屋巡りしたり。夜は酒を飲むだけ。今の自分にやれることは金露を飲むことしかない。金は無いが、金の露は飲めるぞ!
歌詞も「熱燗一本ください」と
CD「哀愁の重ね着女」の歌詞を見て笑いました。「熱々の熱燗一本ください。ヤなこと全部忘れたいのに。心の傷に沁みて痛い。私、哀愁の重ね着女です」。
青森、阿佐ヶ谷を織り込んだ重ね着CDも、やっぱり熱燗を飲むしかないと慰めてくれています。いくら酔っ払っても、翌朝起きれば何も変わっていないのに。私の場合、北海道、青森、阿佐ヶ谷を重ね着した酔っぱらい男ですが・・・。
そういえばCDの価格は1000円。屋台「栃木屋」の飲み代と同じ。今夜も燗酒だな〜。