北海道・ふるさとを創る3 浜頓別、長年の努力と経験で築かれた自信と余裕

 浜頓別をご存知ですか。北海道のてっぺんに近い最北部にある街です。私と同じ世代ならば、高い人気を集めたユースホステルがある街として知られていました。2022年1月、45年ぶりに訪れました。半世紀近い時間が経過したのですから、たくさん驚きました。失礼かもしれませんが、とても垢抜けた街になっていました。

 そして旭川市に隣接する東川町に匹敵する力と自信を感じました。ふるさと創造力という指標を作ってランキングしてみたら、確実に全国でもトップクラスに入る実力と可能性を持っているはずです。

45年ぶりの訪問、ユースホステルで有名な街が様変わり

 浜頓別には路線バスで到着しました。45年前には存在していた国鉄天北線が1989年に廃線となってしまったからです。当時も真冬の2月末に訪れました。目の前が雪原が広がる駅前に立って、ユースからの迎えの車を待っていた記憶があります。あの時の思い出には街並みは残っていません。キラキラと光る広い雪原だけが目に焼き付いています。

 浜頓別のユースホステルは礼文島の桃岩ユースに次ぐ人気を集めていましたから、当時は極寒の時期ですが満員です。2段ベッドで夕食後、毛布に包まっていたら、「ここのユースは全員で歌を歌うのがルール」とスタッフに引っ張り出されて、赤い鳥の歌などを全員で歌った思い出があります。

 今回は紋別から路線バスを乗り継いでオホーツク沿岸を北上しました。紋別には前日に名寄市から路線バスで入り、「流氷接岸を見られたらラッキー」と期待しましたが、残念ながら流氷がすぐそこまで近づいたのは2日後でした。今冬の北海道はあちこちで大雪に見舞われ、交通はズタズタになっていたのですが、こちらは幸運が重なって紋別から興部、雄武、枝幸の各バスターミナルで乗り継ぐ路線バスはすべて時刻表通りに運行してもらい、予定通りお昼頃に浜頓別に着きました。

 バスの道中、吹雪と強風、岸を襲う荒波、道路に続く雪壁と次々に目を奪われ、枝幸近辺の小さな漁港では漁船が5、6隻が強風と雪で小山のように押し固められた風景を初めて見ました。こんな表現は地元の人には失礼かなと思いますが、早朝からお昼までの「路線バスの旅」は全く苦になりませんでした。

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