65歳から始めたメディアサイト😅① 悪戦苦闘を楽しみながら暗中模索のメディアを考える

 「From to ZERO」サイトの制作に取り掛かって一年余りが過ぎました。目標ははるか遠くにあり、まだまだ視界に入ってもきません。ただ、当初想定していたよりもサイトに手応えを感じています。自分自身のジャーナリストとしての経験を活かして、インターネットを介したメディアサイトを制作できるかどうか。自分自身すら疑問がありましたが、結構できるもんです。

メディア制作のノウハウは期待しないでください

 自分の試行錯誤を記録するうえで、ここでこの一年余りをまとめてみようと考えました。読んでいる方は期待もしてないでしょうが、あらかじめお伝えしますがサイト制作のノウハウを紹介する内容ではありません。わずかでも参考になれば幸いです。

 60歳を過ぎてそれなりの人生を積み重ねた経験は、多くの人に伝える価値があると確信しています。インターネットが空気のように当たり前になった時代です。新聞やテレビなどマスメディアに対する評価はさまざまですが、多くの人がインターネットを意見を発するインフラストラクチャーとして利用することは日本のためにも世界のためにも、そして民主主義を堅持することに良いと考えます。なによりも誰もが自由に意見を言いながら、目の前の出来事、近未来、未来について考える社会は楽しいじゃないですか。

自身のメディアサイトを創ろうと考えたのは10年以上も前

 「自分自身で創ろう」とメディアサイトの設計図を具体的に考え始めたのは10年以上も前のことです。もっとも、そこに至るまで少し話は逸れます。ご容赦ください。

 時計の針はさらに遡りますが、新聞社に入ってからは、記者やデスク、部長など編集業務を通じて日本経済や世界経済、企業経営、賃上げなど日常生活に直結するテーマを新聞で伝えてきました。泥臭いテーマが好きなので「社会部出身ですか」と聞かれることがたびたびですが、一応は経済・産業などが得意な畑です。テレビなど映像メディアを経験するチャンスにも恵まれ、文字と映像を使いながらストレートニュースなど一次情報、少し時間を置いてからさまざなな切り口から一つの事案を考える可能性とおもしろさを体感できました。

 企業取材を中心に記者経験を重ねてきましたので、もともとインターネットに触れた時期は早かったと思います。編集局の上司で「これからはインターネットの時代だあ〜」と連呼している人もいましたが、正直いってまだまだ将来性について疑っていました。当時、インターネットの接続するまでの過程を記事化する試みをしましたが、詳しい自認していた記者でも接続できるまで半日以上もかかったと記憶しています。その過程もまさに汗をかきながら、「こんなはずじゃないのに」という感じです。携帯電話が虎屋の羊羹みたいに大きくて重い時代でした。

 記者の新人時代は連絡は固定電話か公衆電話のみ。その後、ポケベルが登場し、デスクから何かあればポケベルが鳴ります。あまりに煩雑なので「あなたたちが新聞を作っている頃にはポケベルはなかったでしょう。こんなものに頼るな!」と最若手にもかかわらず、電話で怒鳴ったこともあるほどです。時代の最先端に興味を持ち、飛びつくタイプではありません。

 話は逸れますが、海外出張でロサンゼルスに行き、支局に立ち寄った時でした。取材を終えて汗を拭きながら、大きなスーツケースを持って支局に入ったのですが、現地スタップは私を見て「日本の『事件記者』というテレビ番組を見たことがあったのですが、本当に事件記者みたいな人がいるんですね」と呟いていました。褒められたのか呆れられたのか不明ですが、ロサンゼルスのジャーナリストとは全く違うタイプと評価されたようです。

 インターネットを毛嫌いしてのではありません。「取材は人と会うのが基本で、最も重要なこと」との考えに固執していたわけではないのですが、基本原則を疎かにしてはいけないと自戒していまいた。

 ところが海外駐在で頑迷固陋な自分自身に気づきます。携帯電話は「虎屋の羊羹」(虎屋さん、ごめんなさい)から片手で持てるサイズに。車内にも簡単に取り付けられるので、移動中も話ができます。当時の日本に比べると、携帯電話の料金はうそのように安く、従量制なので一定の量を超えるとど〜んとキックバックされてきます。緊急な連絡を取り逃がす心配も減り、国際電話をかなり利用して月額料金は大きく振れない。驚きの事実でした。

海外駐在時に情報通信の進化、フリーランスのダイナミズムを体感

 海外で情報通信が進化するスピードを肌で感じるとともに、海外のジャーナリストが自分の情報を貪欲に発信する努力にも目を奪われました。海外メディアはフリーランスの記者と契約している場合が多く、使えるものなら何でも利用して特ダネ、あるいは1秒でも早く発信する、時には自分にしか持ち得ない視点からニュースを論じる姿勢を目の当たりします。

 自分自身が勤めるメディアに安心してあぐらをかいていたつもりはありません。もともと海外駐在も一人で自由に取材、執筆できる場所を希望していました。自分の視点からどんどん様々なメディアを利用して発信するダイナミズムに身を置きたい。ジャーナリストを目指した時の初心を確認し、いつかはやるぞと胸に刻みました。もう30年近くも前のことです。

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