「ライフ」復刊がうれしい!初心が蘇り、サイト制作の励みに

 いやあ、久しぶりに朗報です。「ライフ」が紙で復刊します。新聞・雑誌の紙媒体はデジタルメディアから北斗の拳の名セリフのように「お前はもう死んでいる」と諭されていると思い込んでいました。思わず、復刊のニュースに小躍りしました。なんたって「ライフ」ですから。

フォトジャーナリズム時代のヒーロー

 「ライフ」はロバート・キャパなど有名カメラマンの作品を掲載し、写真報道の一時代を築いた米国の写真雑誌です。編集は写真が主役で文章は脇役。戦争や事件などの報道写真から映画スターの話題など幅広いテーマを取り上げ、フォトジャーナリズムの時代を築きました。ライフに掲載されれば、被写体はもちろん、写真家も一流と評価される威力を放っていました。

 しかし、映像の主役はテレビに移り、写真雑誌は衰退の道へ。「ライフ」は2007年、廃刊が決まり、過去の写真をインターネットで閲覧できるサービスだけが生き残りました。今回、起業家のカーリー・クロス氏が写真の著作権を所有する出版社と合意、「ライフ」を紙とデジタルで展開することになりました。カーリー・クロス氏は「ライフは混とんとしたメディアを取り巻く状況の中で人々を励まし団結させる声になる」とコメントしています。

岡村昭彦さんの娘さんが扉を開く

 「ライフ」全盛の頃はまだ幼かったのですが、自分にとってはジャーナリストという職業を選ぶ扉を開くきっかけの一つでした。写真家の岡村昭彦の存在が大きかったのです。岡村さんはベトナム戦争や医療など多くのテーマに挑み、写真と著作で問題提起するジャーナリストとして有名ですが、その名が世界に知られたのは「ライフ」での掲載。1964年6月12日号に9ページにわたる特集は「筵に包まれた我が子を抱く南ヴェトナム軍兵士」など悲惨な戦争の最前線に立っていなければ撮影できないものばかりでした。

 岡村さんを知ったのは小学生の時でした。実は、隣の席に座っていた女生徒が岡村さんの娘さんだったのです。彼女の名前は普通なら男の子の名前。デリカシーなんて言葉も感性も何も知らない、頭の中は野球のことだけの頃です。「なんで男の名前なんだよ」と不躾に訊いたら「お父さんが生まれる前から男の子が生まれるって決めていたので、そのまま名前にしたんだって」と教えてくれます。

 幼い頭で「お父さん、おかしくないか」と首を傾げたのを今でもよく覚えています。「何やっているんだよ」と続けたら、「写真を撮る仕事で、いつも家に居ない」。帰宅して母親に尋ねたら、岩波新書「南ヴェトナム戦争従軍記」という本を書いていると教えてくれます。本屋に行って本を探し、著者名を見たら岡村と書いていました。訳もわからず読みましたが「こんな仕事あるんだ」という驚きだけが読書感想。その後、あちこちを彷徨い迷路にはまり込みましたが、結局は新聞記者の道を歩み始め、いまがあります。

選んだ道の先はまだ長く、新たな可能性も

 65歳からメディアサイトに挑戦することにしたのは、紙媒体が死に体ならデジタル媒体でどんなことができるのか、自分自身で体感したいと考えたからです。しかし、ライフが紙媒体として復刊できるなら、過去の栄光を懐かしむよりも、紙媒体がデジタルと並ぶ新たなメディアとして再生する可能性がまだあるかもしれません。

 ライフ復刊のニュースは、自分自身がジャーナリズムを選んだ初心を思い出せてくれると共に、まだまだ選んだ道の先は長いのだと背中を押してくれている気がします。

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