根室と函館⑤かつて北方は豊かさを約束されていたが、過去の栄光は未来を生まない

  北海道最北部の猿払村をご存知ですか。稚内市のすぐ南に隣接しており、ホタテの産地として知られ、漁獲量、品質は日本でもトップといわれています。ホタテ漁師の年収は数千万円といわれ、住民の平均年収も日本で上位クラス。

猿払村はホタテ漁で平均年収は日本でも上位

 漁師さんはお金を使うのに苦労して二階建ての家にエレベーターを設置したり、壁や塀には高級な石材を使ったり。家には高級品が多いので盗難を恐れて全ての窓に鉄枠を設置してしまい、見映えが台無しになってしまったという笑い話があるぐらいです。私も村を訪れて見学しましたが、お見事の一言。仲間とお酒を飲んで盛り上がり、「札幌のススキノへ行こう」と数十万円をかけてタクシーで向かった武勇伝も聞きました。

北海道各地で新たな価値を創造

 猿払村の漁師は目の前のホタテを収穫して豊かになったわけではありません。漁協が結束して養殖、ホタテの加工、副産物まで手広く、かつ新たな価値を創造する製品化に努力して得た成果です。鮭、カニや昆布など豊かな漁業資源に恵まれた北海道各地で見聞きするエピソードです。北海道東部の十勝の畜産や農業のみなさんは欧州連合(EU)に負けない経営を展開しています。

北海道はなぜか厳しく耐えるイメージ

 ところが、日本全体ではなぜか北海道は厳しい気候に耐え、苦しみながら生活するイメージが思い描く人が多い。不思議です、もちろん、みんなが大成功しているわけではありませんが、北の厳しいイメージ一色に染まってしまうのはとても残念です。

 もともと「北方」は豊かさをもたらす地域でした。その象徴は北前船。富を生み出す宝船でした。北海道、日本海側沿岸、瀬戸内、大阪を結ぶ航路、港は栄え、北海道沿岸はもちろん、下北半島、そして国後島、択捉島などオホーツク海を合わせた地域は、まさに宝が眠っている海洋でした。

 その富を体現したのが高田屋嘉兵衛です。日本有数の都市にまで発展した函館がその良い例です。地元で財を成した相馬家は、昭和初期の「全国金満家大番付表」で名を連ねたこともあります。かつては東京・青山の大地主でした。

函館は人気はトップでも市民には不人気

 しかし、函館はその後、衰退するばかりです。街としての魅力は日本でトップクラスですが、市民がこのまま住みたいと答える調査では下位に落ち込むそうです。大好きな街ですから、観光以外に新たな力を生み出す可能性があるはずと信じています。

根室はその歴史から時間の重さを感じる

 根室も江戸時代、太平洋戦争の戦前・戦中・戦後、そして現代までの時間の重さを感じる街です。杜氏や酒米などを本州から取り寄せて日本酒「北の勝」を醸造するほどの繁栄を誇りました。しかし、今は日本一の漁獲量を誇ったさんまが大不漁に直面しています。基幹産業の漁業はオホーツク海の水産資源の減少、魚価の低迷、消費者の 魚離れなどに悩まされ、厳しい経営環境にあります。

 そして日本とロシアの国境問題を肌で感じる街です。北方4島返還を求める看板のほかにロシア語の道案内もあり、その距離の近さを痛感します。それは自分の無知さにも気づかされました。 

択捉島は沖縄本島の2・6倍も

 その一つは国後島、択捉島が予想以上に大きい島だったことです。日本は南北に広いため、沖縄と北方4島を比べて見る機会はありませんでしたが、国後島は沖縄本島より少し上回る程度、択捉島はなんと2・6倍もそれぞれ広いのです。

ロシア語の案内版

  根室市が2012年に作成した沿岸漁業振興計画に記載された市長のあいさつは次のように始まります。

 「かつて北方領土を含む広大な漁場を有し、豊かな水産資源を背景に発展してき た歴史を持っております。しかしながら、戦後間もなく、北方領土がロシアに不法占拠され たことにより、豊かな前浜漁場を失い、現在、根室市の沿岸漁業は根室半島周辺の限られた 海域で行われております」

 日本有数の漁業基地だけに、無念な思いが募るのは当然でしょう。

 200年前、高田屋嘉兵衛が国後島、択捉島の航路を開設して北洋の漁場開発、貿易を興し、以来根室は繁栄してきました。200年間築いた財産が函館のように衰退していくのでしょうか。北方4島の返還はかならず実現すべきですが、その返還が実現するまでは為す術が無いというわけは無いはずです。

猿払村にできたことを根室でも

 猿払村は根室市から見たら、北海道のオホーツク沿岸の端と端になります。猿払村でできたことが根室市にできないわけがありません。世界ランキングトップにもなったテニスプレーヤー、大坂なおみ(のお母さん)を生んだ街なんですから。

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