追想「ぽん」再び 、ブラック&ソウルは50円コーヒーとカレーから

 iPhoneのアップルミュージックでネットラジオをよく利用します。最近はもっぱらアフリカのミュージシャンが歌う曲がほとんど。何気に聞いていた曲が軽くて爽やかなので、誰が演奏しているのだろうとチェックしたらナイジェリアのアーティストだった。こんな感じです。現地の言語は全く理解できませんが、アフリカ独特のリズムを皮膚感覚で楽しみ、レゲエやラップに似た気分に浸れるのが好きです。

高校時代の通った喫茶店ぽんでソウルを知る

 アフリカ、あるいは黒人が歌い奏でる「ソウルミュージック」に目覚めたのは高校生の頃。きっかけは「ぽん」。学校に行かない日があっても「喫茶店ぽん」に行かない日はない。学生の本分をすっかり忘れてしまった生活を繰り返していた頃です。

 お昼過ぎにはお店のドアを開き、マスターに挨拶するのが日課でした。山羊髭をはやし、スキンヘッドのマスターは何の驚きもせずに迎えてくれます。夏の頃だと「暑いねえ〜」とひと言が加わることも。

 お昼の注文は決まっています。コーヒーとカレーライスのセット。ランチセットは他にハムライス、卵スープの2つあるのですが、よほどのことがない限りカレーライスを選びます。マスターにはとても失礼ですが、インドのカレーとはちょっと違う宇宙を体感できる、ぽんだけでしか食べられないカレーでした。ご飯が盛られた皿は黄土色のカレーに覆われます。

 味は表現できません。カレー粉が溶けたねっとり感と肉が一体化。おいしいのですが、「うまい!」と感動するほどではありません。あの肉は豚だったのか鶏だったのか。黄土色が目、舌、胃袋の味覚すべてをぽんのカレー色に染めてしまいます。マスターがカレーを調理する姿を見てわかりました。本気で作っているのに本気で作っている姿をみせない。力みがないので、食べる人間もリラックスできる。

カレーライスを食べると、ホッとする。味は覚えていません。

 カレーライスを食べると、ホッとします。なんか温まる。大げさですが、「今日、生きている」を確認する儀式だったかもしれません。以前、青森県弘前市の佐藤初女さんが握るおにぎりを食べるために全国から多くの人が訪ねるテレビ番組を見たことがあります。おにぎりを食べた方は涙を流し、心底安心している姿が映っていました。ぽんのカレーライスは、行き場を失った高校生にとって佐藤さんのおにぎりみたいな役割を果たしていたのでしょうね。

 コーヒーはネルドリップ・スタイルでいれてくます。コーヒーだけなら50円。カレーライスとのセットなら250円だったんじゃないかな〜。勘違いしていたらごめんなさい。とにかく高校生が毎日通える値段でした。コーヒーの皿は金属製の小さなミルクピッチャーが脇にのっています。カワイイ。ブラックコーヒーが好きなので、ミルクはコーヒーに入れず金属製のピッチャーからそのまま飲むことがほとんど。小さいので飲みにくいのですが、コーヒーとは違ってサラッとした感覚が舌の表面を滑らかにするので、なんか快感。好きな瞬間でした。

 お昼ご飯を終えたら、カウンターの背後に並ぶマンガ週刊誌を読みまくります。たくさんあるので、尽きることはありません。BGMは様々でしたが、マスターは店内の空気を読みながらジェームズ・ブラウンやフラワートラベリンバンドなどブラック、ソウル、ブルース(注;呼び名はどうでも良いのですが) を、時にはTレックスなどグラムロックもレコードプレーヤーに載っけてくれます。

夜はタバコの煙とウイスキーの香りがコラボで暗闇が輝く

 ぼ〜としていると夕方を迎え、店内はお昼の頃と違った雰囲気になります。ウイスキーなどアルコールも提供されるので、ジャズやブルースがBGMに流れる「大人のバー」に。タバコの煙が店内のわずかなライトと重なり、虹色に輝きます。わずかに漂うウイスキーの香りにソウルミュージックが絡み込んできます。時間も場所も勘違いした二十歳未満の高校生は、黒人のハスキーなゴスペルやウェス・モンゴメリーのジャズギターを聞いて、明日のことも考えずにお店の天井にポカリと空いたガラス窓から月が見えないかと上を見ています。

 暗闇が輝くぽんの店内、右から左へあるいは左から右へ飛び交う黒人の歌声、ギター、ベース、ドラム、タバコの煙とウイスキーの香りが交差する色のついた空気。「このギター、うめえなあ〜」。

 夜、お腹が空いたので、マスターに注文します。「カレーライスとコーヒー」。コーヒーカップの脇にはミルクを入れた金属製の小さなピッチャー。お昼とは違った暗闇で見ると、黄土色のカレーはきれいな黒色を帯びます。コーヒーのブラックと共鳴しています。この時間は永久に続いています。60歳を過ぎた今も心に焼き付いています。

閉店したぽん

 ぽんは2021年に閉店したと聞きました。高校卒業後も、そして社会人となった後もお店には時々顔を出していました。マスターやママは忘れずに相手してくれます。40歳過ぎても50歳を過ぎても60歳を過ぎても、ぽんのお店の扉を開けば、高校時代にタイムスリップします。

マスター、永久に「営業中」

 歳を取っても中身は変わりません。いつも口先ばかりで、実行が伴わない。「俺、お金を稼いだらサントリー・ホワイトを一本キープする」と言っていながら、約束を果たせず、ごめんなさい。

 でも、マスターとママへ。マスターの名前の通り、今も多く人の心の中では永久に「営業中」のままです。

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