南太平洋 5 ブーゲンビル島でSDGsを体感する 国連抜きの初のPKOを見る
国連抜きの地域PKOは初めての試みでした。米国や欧州のメディア、日本からは私ともう一社が小さな島に集まりました。事前に取材すると、「現地には食糧や宿泊施設などはないから1週間分の食料と寝袋やマット、テントを持ってきた方が良い」とアドバイスされました。
しかもマラリア感染では最も警戒すべき地域です。だいたいなんでも食べられるので食事や寝床はなんとかなると思いましたが、マラリアだけは蚊が相手です。2本か3本のワクチン注射を打って万が一のために薬を持参しましたが、強い薬なので現地に入る前に肝臓がヘタってしまったのには参りました。酒好きの私の体がアルコールを拒否するのですから。
南太平洋では独立運動が各地域で続いている
日本の皆さんから見ると、ブーゲンビル島の独立問題って何が重要なのか?と首を傾げると思います。当時はフランス領ポリネシアのタヒチ島はじめ、ニューカレドニア、インドネシアの東ティモール(2002年5月に独立)などで独立運動が広がっていました。
ニューカレドニアを例に見ても先住民のカナックが中心になって独立長年主張しており、ようやくですが2018年に続き2020年10月にフランスから独立するどうかの住民投票が実施され、反対が53.3%を占めてギリギリ残留を決めました。2022年に再び最終の住民投票が予定されています。
ブーゲンビル島の独立運動は現在も続いています。パプア・ニューギニアは欧州各国、オーストラリアなどの植民地時代を経て1975年9月に独立を果たしました。ブーゲンビル島は同じ年から独立運動が始まります。パングナと呼ばれる世界最大級の銅山が開発され、その利権をオーストラリアの資源会社などが独占したため、補償などを巡って島民が反発したためです。銅山は開発当初、金を産出して銅の生産量が増えるそうです。
ですから、ブーゲンビル島だけでたいへんな富が発生し、パプア・ニューギニア政府に頼らずに自分たちの地域だけで自立できると考えたのです。またパプア・ニューギニアは多種多様な部族が集まっている国です。政府主催の大イベントを取材した際に目撃したスローガンは「ALL FOR ONE ONE FOR ALL」。会場となった陸上競技場に大きく掲げられていました。ラグビーの精神を表す言葉ですが、独立して30年程度過ぎていな若い国です。
国全体の一体感を持つのはまだ難しく、自分たちの地域は自ら守り築くと考えてもおかしくありません。
1988年にはブーゲンビル革命軍が結成され、鉱山事業を妨害するなど事実上の武力闘争へ移ります。リーダーはフランシス・オナと呼ばれる人物で、彼は山本五十六司令長官が持っていた日本刀を携帯していたと言われていました。真実かどうかわかりませんが、日本海軍を率いた精神とリーダーシップを引き継ぎ、独立を勝ち取る覚悟があることを内外に示す象徴とされ、オナ氏は現地ではかなり恐れられていました。