アフリカ土産物語(38)シエラレオネ 内戦から復興へ 両手首を失った若者と17年ぶりの再会
内戦で両手首を切り落とされる
内戦が10年続いたシエラレオネを2002年5月に取材した。100 万人以上が土地を追われ、約 40万人が難民として国外へ逃れ、多数の庶民が手足を切断される悲惨な戦闘が終結した直後のことだった。その17年後の2019年8月に再訪し、内戦で手首を切り落とされた青年と再会した出来事を書いてみたい。
「人間はこんなに残酷なことをするのか」。初めて現地入りし、負傷者が身を寄せる「アンプティ(不具者)キャンプ」で手足を欠損した収容者を見て愕然とした。まだ市街地の上空には国連平和維持部隊のヘリコプターが舞い、内戦の余韻が色濃く残っていた。
「一生懸命支えていきたい」と17歳の新妻
その中で両手首から先のないモハメド・タラワリという名の若者が「復興に期待したい」と健気な言葉を口にした。「失った腕が今も疼く。両手首にスプーンを挟んでやっと食べられる」と話す彼の横で「この人を一生懸命支えていきたい」と新妻が寄り添っていたことにも驚いた。
タラワリさんは内陸の村で反政府勢力の兵士に両手をナタで切り落とされ、両親、兄、姉を撃ち殺された。悲嘆に暮れるキャンプで結ばれたのがマビンティさんだった。荒廃した国での23歳と17 歳の新婚生活がスタートしたのだ。
彼らの「その後」が長く気がかりだった私は2019年8月に再びシエラレオネに向かった。香港、ドバイ、ラゴスを経由して首都フリータウンに到着し、郊外に車を走らせると、幹線道はアスファルトが赤茶けた土の悪路に変わり、車体がドスンドスンと揺れ始めた。
「復興はまだまだだ」。そう思いながら雨季のスコールでぬかるむ道を進み、「内戦で手足を切断された人々」を探した。片足を失った老人と出会い、17年前のタラワリさんの写真を見せると、偶然にも「彼は我々の自助組織のリーダーで、明日の会議に来る」と言った。
彼は自助組織のリーダーに
翌朝、その会議に出向き、目が合った青年の顔に懐かしい笑みが浮かんだ。まぎれもなくタラワリさんだった。「よくぞ生きていた……」。そう思いながら、彼に歩み寄った。その表情には40歳という年齢にふさわしい落ち着きが備わっていた。
「妻もビジネスで頑張っています」とほほ笑む彼の話に安堵しつつ、野菜作りのプロジェクトや女性の健康増進に取り組んでいる活動ぶりを聞いて感心した。だが、彼らの生活はなお苦しく、「資金も不足している」との訴えを重く受け止めるしかなかった。
エボラ出血熱の蔓延や乱開発による土砂崩れなど復興を妨げる災難も影響しただろうが、戦後 17 年という歳月を考えたとき、日本が敗戦から 19年後の1964年に東京オリンピックまで開催できるほどの復興を成し遂げたこととの落差に暗然とした。
過酷な記憶を背に未来を創る
現在のシエラレオネはスマホが広く普及し、外国人が占めていたビーチに現地の若者たちが姿を見せるなど市民生活は向上したというが、タラワリさんからその後送られてきたメールには「私たちは今も、あなたがた皆さんの助けが必要です」との言葉があった。
「戦争を知らない子どもたち」が増える西アフリカの小国で、過酷な記憶を背負いながら未来に目を向けるタラワリさんのサバイバルを心から応援したい。(城島徹)