
1ドル162円の日本 1986年は円高革命で世界1位に 2026年は超円安を革新力に
いやあ、なんとも懐かしいドル円相場です。6月30日、ドル円相場は162円台に。1986年12月以来、39年半ぶりの円安ドル高です。
40年前、幸運にも自動車産業を担当する記者でしたので、沸騰するドル円相場に追い立てられるように取材で駆けずり回っていました。久しぶりに162円台のドル円相場を目にすると、日本経済の時計の針が40年前に巻き戻った当時の風景が蘇りました。
ドル円相場がどの水準に落ち着くのかは「神のみぞ知る」です。でも、円売りの潮流は変わらないでしょう。日米の金利政策などを理由に解説する向きもありますが、今回の円安はズバリ、日本売り。日本経済の成長力が期待できず、円を資産として保有する魅力が失われているのです。
プラザ合意の翌年に目撃した相場
このまま日本経済は円とともに売られ続けられると、明日はどうなるのか。不安も湧きます。まあ、慌てることはありません。なぜって、40年前の1986年12月に経験済みです。といっても、ドル円相場の流れは全く逆ですが、日本経済は屋台骨が大揺れする大激震に襲われたのですから。
1985年9月22日、プラザ合意によってドル円は240円台から一気に円高へ吹き上がります。1年後の1986年12月には162円台まで高騰。1年2ヶ月で80円近くも、なんと30%近くも上昇しました。
日本の高度経済成長は、戦後の1ドル360円からスタートしたドル円相場を競争力にした対米輸出が支えていました。競争力を削ぐ為替相場の高騰は、輸出先の米国市場での値上げに直結、輸出産業に大打撃です。とりわけ最大の輸出産業だった自動車産業は一転、窮地に追い込まれます。
幸運にも日本経済の激動期を目撃することができました。1985年3月から日本経済新聞で自動車産業を担当する記者となり、日米貿易摩擦の渦中にトヨタ自動車、三菱自動車が米国進出を決断する特報に携わりました。
そしてプラザ合意による超円高が始まります。自動車、部品メーカーの経営者の表情は予想外にも余裕がありました。一応、厳しいコメントを発表するのですが、180円台までは笑顔も見せました。ところが、160円台に突入した途端、顔が真っ青に変わったのを鮮明に覚えています。
日本企業は米国進出ラッシュに
当時はホンダ以外の日本車は米国現地生産が進んでおらず、過熱した日米貿易摩擦で対米進出を決断した自動車・部品メーカーは超円高でギアを上げて現地生産を急ぎます。国内から自動車・部品工場が消える「空洞化」によって、雇用喪失などで地域経済が衰退すると心配する声も高まりました。
新聞誌面では「円高不況」という言葉が躍り、自動車担当記者として連載企画を執筆し始めました。
ところが、予想した深刻な不況は見事にはずれました。自動車・部品メーカーは米国での現地生産を一気に拡充してドル円相場の影響を回避する一方、日本車の代名詞だった「安くて故障しないクルマ」に加え、欧州の高級車に負けない上級車の開発を加速します。目の前の危機に躊躇せず経営改革に挑んだフットワークの軽さが1990年代、日本車に世界最強の競争力をもたらしました。プラザ合意が日本の自動車メーカーが世界一に躍り出るショック療法になったと理解しています。
それは自動車と並ぶエレクトロニクス、工作機械でも同じでした。半導体は世界シェアの過半を握り、ソニーやパナソニック、シャープなど日本製の家電製品が世界中から大人気を集めます。気づいたら、工場が閉鎖される「空洞化」どころか、工場増設の動きが広がっていました。
新聞紙面でおっとり刀で開始した連載企画「円高不況」はいつのまにかに「円高革命」にタイトルを改め、超円高が日本企業の経営改革を追う前向きな連載企画に変貌してしまいました。自分でも驚きました。
もっとも、その数年後に日本はバブル経済に突入、その先には日本経済がその後30年以上も苦しむ低迷期が待ち構えていました。
改めて40年を振り返ると、円の凋落は30年以上も続いており、ドル買い円売りにはもう慣れっこ。国の購買力を示す実質実効為替レートは最高値を記録した31年前の1995年に比べて3分の1にまで落ち込んでいます。経済指標でみても、GDPや年収は1990年代から実質ゼロ成長が当たり前。いまさら超円安を嘆くのは遅すぎます。
超円安を追い風に再び追撃開始
そろそろ円安ぬるま湯から脱して、日本経済の革新に挑みましょう。人工知能、半導体と叫んでいますが、日本はどうみても欧米や台湾・韓国を追い上げる立場。40年前も日本は経済大国と自惚れた人がいましたが、技術革新は欧米の背中を追っていたのが実態です。1985年から挑戦した円高革命の再現をめざしましょう。2026年は円売りですから、今度は超円安革命とでも呼ぶのでしょうか。
スタートラインは同じ162円。時計の針が40年間逆戻りしたと後ろ向きに考えずに当時の挑戦者としての勇気と覚悟を取り戻しましょう。
「やればできる」。最近姿を見せんませんが、お笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行さんが放つお決まりのフレーズが好きです。しのごの言わずにまずは挑戦。結果は後からついてくる。1986年の円高革命の負の財産は、成功体験に二日酔いしてしまい、失敗と批判を恐れる日本企業になってしまったことです。さすがに二日酔いは冷めているはずですが、まだ目の前の弱体化した日本経済を直視できない人もいるみたいです。
「やればできる」と連呼しながら、162円の超円安を楽しみましょう。
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