「新聞記者・ガッツ石松」最敬礼「幻の右」は取材力にも 視点は細心、軽いフットワーク

 「タレントとして演じるガッツ石松さんに騙されちゃいけないよ。新聞記者としても素晴らしい器量の持ち主だよ」。もう40年以上も前、先輩の新聞記者からこう諭された言葉を鮮明に覚えています。

友利正の世界戦

 1982年7月、金沢市で開催したWBCライトフライ級世界チャンピオン戦の時でした。3ヶ月前に世界チャンピオンベルトを獲得した友利正は、挑戦者にパナマのイラリオ・サパタを指名し、初防戦に挑みました。注目のチャンピオン戦ですから、東京本社編集局運動部の記者が記事を取材、執筆するのですが、金沢市を訪れたのは大相撲に関して右に並ぶ記者はいないといわれた有名な先輩でした。

 長年担当した大相撲の記事は、経済新聞でありながら多数の読者を抱えるコラムでした。社会常識とかけ離れ、江戸時代の空気が残る大相撲の世界を時には厳しく、時にはやさしく解説する名文家でもありました。当時の相撲協会理事長の助言役も務め、理事長のスピーチライターと噂されたほど。その先輩が「記者のイロハを知る良い機会になるから、一緒に」と金沢支局で新聞記者3年目を迎えていた私に声をかけてくれたのです。

スポーツ取材は記者修行の縮図

「ボクシングも取材するんですか」と惚けた質問をしたら、「相撲しか知らない記者と思っているかもしれないけど、運動部の記者はなんでも取材して記事にする。もちろん、ボクシングも何度も経験している」と笑います。

 運動部の取材は、記者修行の縮図です。野球、サッカーなどゲーム展開は想定外の連続。しかも、夜のゲームとなると、新聞紙面の締め切り時間までに素早く取材して原稿を仕上げなければいけません。すべてを短時間にこなし、読者を唸らせる記事に完成させる。この基本を体得して、ようやく新聞記者としての第一歩を踏み出したといえます。

 世界チャンピオン戦の前座は、激しい打ち合いというか殴り合いに。「こういうボクシングを見ておくと、世界戦のレベルがわかる」と先輩は解説してくれます。「へえ〜」と思いながら、周囲を見渡したら、ガッツ石松さんの姿を見かけました。先輩は、「ガッツさんはスポーツ新聞にコラムを持っているからね」と教えてくれました。

 ガッツ石松さんといえば、現役を引退後は「OK牧場!」などちょっとピンボケの役を演じるタレントとして大人気を集めていたので、「ガッツ石松に記事は書けるのか」と考えていた私の顔を見て、冒頭の言葉通り「騙されちゃいけないよ」と釘を刺します。

世界チャンピオンは何をやっても一流

「世界チャンピオンになる人間は、何をやらせても一流なんだよ」。何度も一緒に取材した経験からガッツ石松さんの素顔を教えてくれました。勝敗が決すると、すぐに選手らに関係者に走ってコメントを聞き、自身で原稿を書くそうです。ガッツ石松さんが話した内容をスポーツ記者が代わりに原稿にまとめるのかと思ったら、勘違いでした。原稿執筆の練習を何度も何度も繰り返して体得したそうです。先輩は苦笑しながら、「本職のこちらよりも取材ポイントが的確で、動きが早い。後を追いかけることになったこともある」と絶賛します。

 友利正の初防衛戦は、毎ラウンド接戦で15回まで及び、判定1ー2の小差で敗北。素人目でも、この試合を限られた行数しかないコラムにまとめるのはたいへんと思っていたら、ガッツ石松さんはもう姿を消していました。先輩もいつまにかどこかへ走り出し、呆然とリングを眺めていたのは自分だけ。1時間後には原稿執筆を終えた先輩と金沢の居酒屋で飲みまくりましたが、翌日の新聞に掲載された記事を読み、最敬礼するしかありませんでした。

 ちなみに私もスポーツ記事を書いた経験があります。

 1994年1月、テニス4大大会の全豪オープンで伊達公子が準決勝に進み、シュテフ・グラフと対戦するゲームです。当時はシドニー支局でアジア太平洋の政治経済を取材し、執筆していましたが、伊達公子が日本人で初めて4大大会で優勝するかもしれないと日本中が大騒ぎしているなかでしたから、無視するわけにはいきません。経済新聞でありながら、ゲーム展開と観衆の反響など記事はこちらが恐縮するぐらい大きく取り上げられました。

 取材、執筆の時はいつもガッツ石松さんが走って原稿を執筆する姿が蘇っていました。素人といわれようが、しっかり取材して一生懸命に記事を執筆する。ここだけは負けるわけにはいきませんでしたから。

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