
ほぼ実録・自動車史)日産③ 世界は合従連衡の荒波に翻弄 ルノーも身売りへ
実は、当時の経営環境は日産自動車だけが厳しい状況に追い込まれているわけではありませんでした。
欧州勢、とりわけ英国、フランスの自動車メーカーは消耗していました。VW、メルセデス・ベンツ、BMWのドイツ勢は中高級車市場で相変わらず強さを守っていましたが、1980年に入って英国、フランスは米国、日本の攻勢に現代自動車など割安な韓国車の参入によって徐々に市場シェアを失っていたのです。
英国の自動車産業は衰退
ロールスロイスなど超高級車はともかく、中高級車はドイツに奪われ、中小型車は米国と日本、安価な小型車は韓国にそれぞれ侵食される板挟み状態に追い込まれていました。窮地を打開しようにも、労働組合が強く工場を中心に経営改革は遅々として進みません。
しかも、英国もフランスも政府は雇用環境の悪化を懸念して自動車メーカーの経営に強い影響力を行使します。このままでは世界の自動車競争から取り残されてしまう。目前に経営破綻の悲劇が待ち受けているのは誰でも予想できます。
日米欧の自動車メーカーによる提携・合併の合従連衡劇が始まる舞台は整っていました。
まず1979年、ホンダと英ローバーの技術提携によって開幕します。ホンダにとっては高級車の開発・生産の技術を取得するとともに、欧州での貿易摩擦を回避する現地生産の拠点を確保する狙いが込められていました。一方、英国政府は、米国と日本の輸出攻勢にとても対抗できない英国自動車産業を救済するため、新興勢力のホンダと組む苦渋の選択を下したのです。
ホンダ・ローバーの提携が幕開けに
ホンダとローバーの提携は10年後の1989年、資本提携へ発展します。英国の製造業をなんとか維持しようとする政府に取り込まれた形ですが、これがホンダにとって欧州戦略の足かせとなり、苦境から抜け出せない泥沼に引き込まれたのと同じでした。
日産もホンダと同じ轍を踏みます。1984年、英国での現地生産を決断し、欧州の本拠地を構えます。2年後の86年に開催した工場の操業式にはサッチャー首相を招き、英国、欧州経済への貢献をアピールしましたが、その後はやはり英国日産で消耗する羽目に陥ります。
英国政府が日本勢の取り込みを急いだのは、1980年代の日本は喉から手が出るほど優れた技術を保有していたからです。自動車メーカーにとって最大の懸案となっていた排ガス規制の強化では電子制御を駆使したエンジン開発で世界最先端を走り、生産技術もコスト削減と品質管理ともに世界最高レベルでした。
日本に欧州から秋波が続く
もちろん、英国だけではありません。表舞台に登場しませんでしたが、水面下で提携劇のシナリオは進んでいました。例えば、ドイツのBMW。創業家のクヴァント一族は密かに身売りを検討、候補としてトヨタ自動車に声をかけていました。
BMWの最大の魅力は他のを寄せ付けないエンジンが生み出す快感。直列6気筒の滑らかで素晴らしい加速力を生み出すエンジンは「ストレートシックス」と呼ばれ、高級車として人気を集める最大の売りでした。ところが、1980年代には大型エンジンをコンパクトに設計できるV型6気筒が主力になり、BMWの直列6気筒は時代遅れのエンジンになると言われ始めたのです。創業家は企業価値が落ちる前に売ってしまえと考えたようです。
トヨタはBMWを傘下に収めるメリットを検討しましたが、結局は断念しました。トヨタは米国市場で高いシェアを広げていましたが、欧州では大苦戦していました。その理由は自国のブランドを優先する欧州の消費者にとってトヨタはよそ者。ホンダも同じでした。欧州で高い人気を集めるF1で圧勝してもホンダは売れません。仮にBMWを傘下に収めても、新興勢力の日本勢が名門企業を飲み込んだとの批判が巻き起こり、トヨタにとってマイナスに働くと判断したのです。
日産はVWとも提携
誇り高い欧州自動車メーカーと手を組むのは至難の業です。日産はドイツのフォルクスワーゲン(VW)と提携して日本の座間工場で主力車「サンタナ」をノックダウン方式で生産する道を選びました。当時のハーン会長とは取材でお会いしたことがありますが、「VWと日産が一緒に協力することが日本と欧州にとってプラスになる」と強調していたことを思い出します。
しかし、1990年代に入って世界の自動車の合従連衡の波は様変わりします。日産の経営が変調し、日産そのものが身売りの市場に加わったのです。そこになんとフランスのルノーも登場します。水面下で画策される合従連衡はいよいよ誰も予測できない混迷に突入します。=次に続く

