
ほぼ実録・自動車史)日産④1980年代 ルノーも経営危機の助走路に
日産自動車とルノー。1999年の資本提携は世界の自動車業界に衝撃を与えました。日本とフランスを代表する自動車メーカーが生き残りのために手を組む。提携、合併が押し寄せる合従連衡の時代の到来を告げたからです。
ルノーも日産も経営危機の助走路に
本来、資本提携は互いの強みと弱みを補い、さらに「強い会社」をめざすのが目的です。でも、日産とルノーは違いました。両社とも経営破綻寸前の窮地に追い込まれ、存続に賭ける最後の提携先でした。厳しい言い方ですが、相手は誰でも良かったのです。とにかく、まだ企業が存続する保証を対外的に示さないと破綻するしか選択肢はありませんでした。
日産・ルノーは多くの縁を断られた末の結果ですが、実は運命の出会いだったかもしれません。両社とも、自国の自動車産業の草創期から技術、車造りで頭抜けた開発力、個性を持ち合わせ、名車を輩出します。日産はトヨタ自動車、ルノーはプジョー、シトロンと最強のライバルと競いながら、世界市場へいち早く飛翔しました。
驚くことに1980年に入って、経営の窮地に迷い込む時期も同じでした。
資本提携する10年ほど前に時計の針を戻してみます。日産はスポーティーカー「スカイライン」「シルビア」、高級車「シーマ」など時代を象徴する人気車をヒットさせます。ルノーも小型乗用車「シュペール5」、ミニバン「エスパス」など技術、デザインいずれでも独創的なクルマを発表、2026年の現在でも通用する新車開発の実力を披露しています。
華やかな戦略の舞台裏は赤字の垂れ流し
内実は違いました。華やかな世界戦略をぶち上げ、新車大ヒットなど派手な打ち上げ花火が夜空に舞い、経営は盤石と思われていましたが、それは虚像。開発、生産のコスト管理が甘く、収益は増えるどころか見えない赤字が垂れ流され、経営体力は消耗し続けます。これが実像でした。このままでは存続すら危ぶまれる苦境が目の前に待ち構えていたのです。
当時、ルノーのパリ郊外の本社工場を取材したことがあります。ボディの溶接、エンジンなど基幹部品の組み付けなど主要ラインを回りましたが、施設は老朽化しているうえ、床は汚れたまま。リストラなどに反対する労働組合がばら撒くビラが構内のあちこちに散逸していました。塵一つすら見逃さず、クリーンな日本の工場を見慣れていただけに驚いたものです。
しかも、生産ラインは過去のレイアウトを踏襲しているので、生産工程の流れがとても不効率。例えば、溶接工程を終えたボディの骨格は次の工程へ移る際、天井まで持ち上げられ、車列を組んで並んで一度構内を出て、外気の中を移動して隣の工場へ移動していました。まるで車列を組んで空を飛ぶような風景を見上げながら、コスト管理はすでに死語になっているのではないかと痛感したものです。
ルノー本社工場ではボディが空を飛ぶ
工場内を一緒に回ったルノー幹部に対し工場内を見た感想を述べ、「改革は可能か」と尋ねたのですが、同行したフラン語通訳は「そんなことを聞いたら、怒る」を理由に翻訳してくれません。ルノー幹部は質問に待ち構えていたので、自身の拙いフランス語で伝えたら怒りはしませんでしたが、「ルノーは国が経営する会社。無茶ことはできない」と苦笑するだけでした。
ルノー幹部の答を聞きながら、心底納得しました。事実、フランスの自動車メーカーがすべて病んでいたわけではありません。ライバルのPSAプジョー・シトロエンは、ジャック・カルべ総裁の優れた経営手腕で元気いっぱいでした。深刻な財政難に陥っていたプジョー・シトロエンを再建、「205」などの大ヒットで欧州でも有数の自動車メーカーに急成長していました。
プジョーのカルべ総裁は「努力しなければルノーのように」
取材でお会いしたカルべ総裁は、ジョークを交えながら饒舌に復活の理由を語ってくれました。「誰も助けてくれない。自ら努力しなければルノーのようになるだけ」。強烈なキャラクターが放つオーラを纏うカルべ総裁が身振り手振りで語る世界戦略には欧米に追いつき追い越せで急進する日本車との提携が視野に入っていました。「小型車が主力のフランスは日本車に学ぶことが多い」。
そう、ルノーが経営再建するためには、日本車メーカーとの提携が不可欠かも。直感した瞬間です。=まだまだ続きます

