
ほぼ実録・自動車史)VW ① 欧州の強い個性を隠しトヨタと共鳴、中国に布石
欧州の自動車産業といえば、フロントマスク、ボディ、走りなどで自らの個性を極め、猛烈にアピールするのが企業アイデンティティ。
イタリアのカロッツェリアに代表される工房が生み出す無数の超個性派はもちろん、メルセデスベンツ、BMWなど小型車から高級車までを揃える大手メーカーですから、一目見るだけで見誤ることはありません。ましてポルシェ、フェラーリの高級スポーツカーはピッカピッカに輝き、エンジンが奏でる爆音は人間を魅了する魔女の囁きを真似たのかと思うほど。
ベンツ、BMW、ポルシェとは異なるオーラ
ところが、VWは、身に纏う空気が違います。車としての基本である走行性能、操縦安定性、顧客満足度を高い水準で維持しながら、大衆車の代名詞「ビートル」「ゴルフ」という不世出の小型車を輩出し続けます。例えれば、派手なパフォーマンスとは縁遠いが、いざ表舞台に上れば観客を魅了する実力派の名優というところでしょうか。
もっとも、VWにはなぜか日本車メーカー、とりわけトヨタ自動車と同じ気配を覚えます。あえて個性が薄い、むしろ強く主張せず万人に好かれるのが個性と笑いながらも、世界市場で君臨して結果を出す。二番煎じと笑われても、販売で常にトップに立つトヨタと重なります。
実際、1980年代に入ってVWとトヨタの経営戦略は共鳴します。生産と販売の両面で提携関係を結んだのです。当時は日本からの自動車輸出で欧州との間には、米国同様に貿易摩擦が激化していました。提携にはドイツと日本のトップメーカーが手を組み、沈静化する狙いがありましたが、互いに似た企業風土がいくつもの障壁を取り除いだと考えています。
トヨタとは似たもの同士
トヨタとVWは1987年6月、小型トラックをドイツで共同生産することで合意します。トヨタは米国現地生産の経験を得るため、米国GMとカリフォルニア州で乗用車を合弁生産する事業を進めていましたが、欧州でもVWと提携して、将来のトヨタ単独生産に向けた布石を打ちました。
共同生産する小型トラックはトヨタが米国市場で販売しているピックアップトラックがモデルで、VWのラインナップにはない車種でした。共同生産車はVW、トヨタブランドのバッジを張り替えて、それぞれで販売します。
提携はビッグニュースとして劇的な効果を生みましたが、両社は提携メリットがさほどないことはわかっていました。欧州でピックアップトラックの需要は少なく、VW、トヨタの業績にほとんどプラスに働きません。提携による絶大なアナウンス効果は最大のメリットでした。
1991年に開始した販売提携も同じ延長線にありました。トヨタは日本国内の販売網でVW車を扱うことに合意したのです。
VWはすでに日本輸入車市場でトップの地位を固めていました。戦後まもない1951年から輸入販売最大手のヤナセを代理店に常にトップシェアを握り続けていました。日本最強の販売網であるトヨタが加わるメリットは大きいものの、本音は長年のパートナーであるヤナセとの関係解消にありました。1983年には直轄の販売会社を設立、独自の販売網を構築していました。狙い通り、トヨタが販売を始めた翌年の92年にヤナセと代理店契約を解消します。
トヨタも販売増を期待していたわけではありません。なんと儲けすぎのトヨタ販売網の利益を吐き出させるのが目的でした。1990年代のトヨタ系列販売会社はバブル経済の大波に乗って儲けに儲けていました。「販売会社が儲けすぎると、妙なビジネスに手を出す。株取引や不動産などで不祥事を起こされると困る」とトヨタの経営トップが話す通り、投資を巡る不祥事が系列販売会社で相次いでいました。
トヨタの提携は政治的なアピール
トヨタにとってVWは売れなくても良いのです。日本の自動車市場は輸入車のシェアが1割程度と推移し、米国から閉鎖的だと批判を浴びていただけに、VWの販売は市場開放に努力する姿勢を米国に示すことができます。トヨタにとっては、これで十分。本来なら、米国車を扱えば良いのでしょうが、車体が大きく、燃費が悪い。売ろうにも売れません。
VWの視線の先には、日本はなく中国がありました。トヨタとの提携を通じて日本、そしてアジアの市場、生産・販売を経験することが最大のメリットだったのです。当然でしょう。トヨタなど日本車ががっちり握る日本市場でのシェアでこれ以上の拡大は望めません。世界最大の人口を抱え、これから経済成長が見込める中国への道を固める方が賢明です。
中国には、VWを名実ともに世界第1位に押し上げる巨額の富があるはずでした。=続きます。

