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ブランドの力

ほぼ実録・産業史20)三菱自動車の崩壊が始まる 革新できず取り残される日本の製造業の実相

 ひとまず社長の顔が固まったとはいえ、肝心の経営再建の軸が定まりません。経営再建策として東京本社を売却して工場がある京都へ本社を移転する、パジェロなど主力車を生産していた岡崎工場の閉鎖などが抜本策として浮上しました。本社を移転すれば10億円程度の経費が浮くとはいえ、SUVの代名詞にもなった大ヒット車、パジェロを生産する岡崎工場を閉鎖する理由は見当たりません。実は当初岡山県倉敷市の水島製作所を閉鎖が有力だったのです。ただ戦前から戦闘機を生産するなど三菱にとっても歴史ある工場が並んでいます。閉鎖となれば地元の中小企業を巻き込む地域経済に深刻な打撃を与えるのは必至です。古い生産設備が多い水島製作所の閉鎖の方が経営合理化の効果が大きかったのですが、政治問題化を恐れ経済合理性を無視して岡崎閉鎖を軸に経営再建案が検討されたのです。

 一事が万事、すべてに通じます。もう結果は見えています。有効な再建策をまとめられないまま、時間だけが過ぎます。無理筋は通りません。結局は翌年の2005年半ばには京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖は白紙に戻る運命でした。

 2004年6月には2002年のタイヤ脱落事故、リコール隠しなどで元社長の河添克彦氏ら開発などの責任者が逮捕されてしまいます。

社内は遠心力ばかり、ばらばらに

 三菱自動車の社内風景が目に浮かんでいることでしょう。最悪です。誰が何を決めているのか、誰の指示を信用して従えば良いのか。社員の気持ちが会社から離れる遠心力だけが強まります。そんな社内の混乱とは関係なく新車販売の激減は続きます。会社の運営資金が枯渇する恐れが出てきたため、7月には三菱重工、三菱商事、東京三菱UFJなど三菱グループが引き受け先となる資金確保に努めます。その資金額は4960億円。しかし、資金のほとんどは地銀など金融機関への繰上げ返済にあてられ、使い果たしてしまいます。支援している東京三菱でさえ三菱自動車の債権区分を「破綻懸念先」に格下げせざるを得ないのですから、地銀の取り立てに抵抗できるわけがありません。なにしろ新車販売は悲惨でした。9月は前年同月比5割減、10月は4割減、米国市場も5割減。言葉を失います。

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