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和倉温泉の加賀屋、27年にリボーン 小田さん、女将さん、横綱・輪島さんの笑顔、優しさ、輝き

  石川県七尾市の加賀屋が再び息を吹き返す歩みが始まりました。2024年1月の能登半島地震で輪島、珠洲などとともに甚大な被害に襲われた和倉温泉。そのシンボルとして知られてきた「能登渚亭」「雪月花」などが2026年4月から公費解体に着手します。当初は2026年後半までに新館を建設して再開する計画でしたが、1年延期して2027年に。加賀屋グループは4旅館から3旅館に縮小、部屋数も減少しますが、従来の団体客中心から個人客に照準を合わせ、新たな「加賀屋」として再生するそうです。

経営規模は縮小、個人客に焦点

 加賀屋は「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で長年、日本一の座を守り続け、日本が世界に誇る「おもてなし」を名実ともに体現してきました。女将さん、仲居さんらのきめ細かな心遣いはもちろん、能登半島を囲む日本海の豊かな魚介類、能登杜氏が精魂込めて造り上げる銘酒などすべてがお客さんの心身を蘇らせてくれました。

 自然の美しさは説明するまでもないでしょう。毎年8月には能登の各地で江戸時代から続く巨大な灯籠を肩で担いで町を練り歩く「キリコ祭り」が開催されますが、七尾市の「石崎奉燈祭」も能登の伝統とエネルギーを体感できる素晴らしい文化です。いつ訪れても感動します。加賀屋は日本一の旅館であるだけでなく、能登の魅力を国内外に伝えるメディアだったと思います。 

 加賀屋の思い出は多すぎて、とても言葉で言い表せません。40年以上も前、新聞記者3年生として金沢に赴任して以来、加賀屋創業家の小田禎彦さんにはとてもお世話になっています。母親、家族、友人らを連れて何度も訪れましたが、母親が「こんなりっぱな旅館に宿泊したことがない。あんたは親孝行したよ」と言ってくれた時、なんかホッとした記憶があります。

思い出は尽きません

 目に焼き付いている風景があります。前の晩に「石崎奉燈祭」観光などを満喫し、翌朝に能登渚亭を出発する時でした。幸運にも玄関には小田さん、奥様の女将さん、そして七尾市出身の元横綱の輪島大士さんが待っていてくださり、ご挨拶する機会があったのです。

 小田さん、女将さんには数えきれないほどお会いしていましたが、いつも素敵な笑顔で見送ってくれます。もう感謝、感謝のことばしかありません。

 輪島さんにも特別な感情がありました。前の晩を含め以前から何度かお会いしており、再びお会いできてとてもうれしかったのです。最初の出会いは、はるか昔の学生時代。当時住んでいた東京・阿佐ヶ谷で時折、お見かけしていたのです。輪島さんは阿佐ヶ谷に拠点を構える花籠部屋に所属していましたから、夜飲み歩く姿を見ていました。

 玄関でお会いした時、阿佐ヶ谷の夜のエピソードを伝え、「いつも綺麗な女性と一緒に歩いていたので、すぐに輪島さんとわかりましたよ」と話したら、現役当時の厳しい表情とは打って変わってクチャと音が聞こえるように目元が笑います。横綱の輪島さんの笑い顔は喉頭がんの手術を終えた後でしたから声が出ません。でも、現役当時のように豪快な笑い顔になりました。

一期一会の出会いは再会を生むエネルギーに

 小田さん、女将さんも加わり、再び大笑い。小田さん、女将さん、輪島さんが大笑いする風景は、自分にとって加賀屋でしか味わえない醍醐味でした。

 加賀屋は数えきれないほどのお客さんをお迎えし、お見送りしてきました。加賀屋ほどの大旅館となれば一人ひとりの出会いを忘れてしまって当たり前と思いますが、女将さんや中居さんらは宿泊客の好みなど詳細なデータを記録し、そのデータを遥かに超える記憶力によって、まるで昨日もあったかのようにお客さんを迎えるのです。加賀屋にとって一期一会はありません。加賀屋でしか味わえない楽しい空間と時間を再び体感したいと考え、訪れるのです。

 2027年、加賀屋がリボーンする時、加賀屋のみなさんのすてきな笑顔に出会えることを楽しみにしています。

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