福島第1原発事故

「大熊町と言えないのが悔しい」浪江町に輝きが戻り、大熊町はまだ・・

 私は40年ほど前、原発先進地域として浜通り地区を取材して回りました。当時の田中清太郎双葉町長はじめ地元のほとんどは「原発誘致に反対する人の気持ちが分からない」と口をそろえていたものですから、当時の私は「???」の思いがよぎったのは事実です。

 大熊町がお土産品として「大熊原子力最中」を製造して販売していたのはよりショックでした。こうした経緯があったので、ぜひ双葉町は訪れてみたかったのです。昨年はコロナ禍などで身動きが思うようにならず、東京から訪ねれば福島県の皆さんに不愉快な思いをさせてしまうのは避けたかったので、コロナ禍が落ち着いた今年12月に訪れました。

 もっとも、双葉町を訪れたといっても、伝承館と双葉駅周辺だけです。限られた範囲とはいえ、「今」をどう作り上げようとしているのかを見たかったのです。例えば伝承館は何を伝えようとしているのか。内部はニューヨークのグッゲンハイム美術館のように回廊形式を採用して福島原発の沿革を写真パネルで説明しています。

 グッゲンハイムの主力展示は抽象画のカンディンスキー。私が一番好きな画家です。伝承館は福島第1原発の建設開始から始まり、事故とその後の経緯。カンディンスキーの良さは一見、何を表現しているのかわからないです。いつ見ても魅了されるのは、「自分たちが現実をどう見ているのか」について絵画を通して私たちの見極める力を試してくるところです。伝承館には、福島原発で起こった事実を数多く写真と説明文、被災した当時の動画、展示品が私たちに突きつけてきます。事故から学び、次の世代に伝承するのは如何なるものでしょうか。回廊に沿って館内を歩き、震災や避難など当時の様子を目に焼き付けながら、考えてみたいです。

 小泉さんとはお話を終えた後、短時間ですが雑談をしました。「40年前に来た時、大熊原子力最中というお土産があって驚いたんですよ」と話しましたら、ああそいうモナカがあったなあとという表情を見せて笑っていました。40分間ほどの「語り部」を聴いた後、「これからの地元を作るのは若い私たちですから」との思いを教えてもらいました。

 そして、ようやく気付いたのです。大熊原子力最中は福島原発で発電されたエネルギーを生活に大量消費しても支障がないように供給してくれた大熊町、双葉郡など浜通り地域からのお土産だったのだと。東京の皆さん、10年前まで大熊原子力最中を買って食べていたのは、実は私たちだったのです。そして今もお菓子の種類は変わったとはいえ、地球からのお土産を食べていることを知っていますよね。

JR双葉駅の時計は2時46分を指したまま

JR双葉駅の時計

JR双葉駅の時計

 JR双葉駅の掲げられている時計を見てください。時計の針は地震が発生した午後2時46分のあたりを指したままです。2011年3月11日から10年間の歳月が過ぎました。しかし、双葉町は2011年3月11日からどれほど未来へ進んだのでしょうか。

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