
ほぼ実録・自動車史)VW ② 日本から中国へ 世界一の座を支えた金城湯池に過度な依存、それが裏目に
ドイツのVW(フォルクスワーゲン)が創業以来の危機に苦しんでいます。独国内工場を初めて閉鎖するほか、最大10万人を超える人員削減するなど大幅な構造改革を進めています。
経営危機を招いた元凶は、皮肉にもVWを世界一の座に押し上げた金城湯池ともいえる中国。あまりにも過度な中国依存が裏目に出たのです。
1980年代から中国進出
VWは先陣を切っていました。1980年代から欧米や日本の自動車メーカーを尻目に早くから現地生産を開始、販売網を構築。1990年代から乗用車に続いてSUVの拡充などでシェアを着実に拡大するとともに、VWグループのアウディ、ポルシェが高級車市場を制覇。2020年代まで25年間も中国市場でトップシェアの座を維持してきました。
中国の自動車産業の育成にも貢献。VWを追いかけるように日本車も中国進出しましたが、「井戸を掘った人の恩は忘れない」の中国のことわざ通り、VWは別格の扱い。見返りとして高成長する中国市場で圧倒的なシェアを獲得し、その恩恵はVWのグループ利益の50%を占めたほど。
中国市場での躍動感はVWを世界一の自動車メーカーに押し上げるエンジンとなりました。2016年、トヨタ自動車を抜き去り、念願の世界一の座に。2019年までの4年間、維持しました。
ところが、中国政府はこれまでの貢献を忘れ、まるで手のひら返しのようにBYDなど中国製電気自動車(EV)メーカーに対する優遇策などを連発し、中国市場から欧米や日本を締め出します。
VWが握っていた圧倒的なシェアは、みるみるうちに激減。最大の稼ぎ頭の中国からの収益が吹き飛ぶのですから、収益力は一気に低下。
元々、独の割高コスト構造に悩み、国際競争力に不安を抱えていただけに、地元の欧州市場でも中国製EVに対抗できず、苦しみます。過度な中国依存が裏目に出た悪循環にのたうち回っているのが現状といえるでしょう。
日産、トヨタと提携し、予行演習
誤解しないでください。VWの中国戦略は決して早計の産物ではありません。中国進出を念頭に日本で周到な予行練習を重ねていました。
1980年代、日産自動車、トヨタ自動車と相次いで提携し、「アジア」を学んでいたのです。ただ、相撲に例えれば、がっぷり四つに組む気持ちはありません。日本政府、トヨタや日産と信頼関係を築き、懐深く入り込み、日本、中国などのアジア流の経営を知ることが目的でした。
まず1981年、日産と主力乗用車「サンタナ」を日本国内で生産することで合意。1984年から神奈川県の座間工場でドイツから主要部品を輸入して組み立てるノックダウン方式で開始、販売も始めました。座間工場での経験は、1985年に上海で開始した「サンタナ」のノックダウン生産に活かされています。
自動車産業の基盤が未熟な中国です。座間工場とは大違い。1985年当時、VWの上海工場を取材したいと申し込みましたが、あっさりと断られました。VWの親しい幹部に理由を訊ねたら、「丸太にボディと車台を乗せて、1台ごとに組み立て工程が進んだら、丸太をゴロッと動かすイメージ。そんな風景を見られちゃ困るからね」と苦笑しながら教えてくれました。
中国の自動車は映画モダンタイムズからスタート
文字通り、人海戦術そのもの。工場の生産ラインが間に合わず人手で部品を一つ一つ組み立てたので、1日75台程度だったそうです。視察した自動車メーカーの人間によると、ベルトコンベヤーを設置するほどの投資を必要としないので、丸太の上に溶接した車の骨組みを載せてゴロゴロと音が聞こえるような感じで一台一台にエンジンを搭載し、部品を組み付けていたそうだ。「映画モダンタイムズの世界ですよ」と話していました。
トヨタとは1987年、ピックアップトラックの共同生産で合意。89年から独ハノーバー工場で生産、トヨタとVWそれぞれのブランドで販売しました。VWは提携の狙いを小型トラックを生産しておらず、自社のラインアップを補充したいと説明しましたが、欧州市場にさほど需要がないため、本音はアジアの自動車メーカーと共同生産するノウハウを取得することでした。
一方、トヨタは1985年に悲願だった米国での単独現地生産計画を決定した後、次の課題である欧州で現地生産する経験が急務でした。VWもトヨタも小型トラックの共同生産で利益を上げようと考えていませんでした。
これだけ1980年代から積み上げたVWの中国戦略、いや世界戦略は足元から脆くもガラガラと崩れています。

