マザーテレサの思いは、メディアが発信する思いと同じです。

メディアの役割を改めて諭された思いでした。「マザーテレサ語る」(早川書房)の中にこんなフレーズがありました。「私たちは海に投げられた小石のようなものです。でも、さざ波を起こすことができます」。そして1日一度だけで良いから、自分の考えに従って行為することが大事だ、と。

小さな石でもさざ波を起こすことができる

1980年から大手新聞社で多くの取材を重ね、多くの記事を書いてきました。いずれも自分なりに納得が行くまで取材を深め、限られた行数の中で読者の皆さんに最も伝えたいことを記事化したつもりです。しかし、あえて妙な表現を使いますが「真実に近い」ことを書いたが、「真実そのもの」だったかに100%の自信はありません。真実に迫ることはとても難しいことです。ですが、迫る努力は惜しみません。

マスコミの影響力の大きさは知っています。記事に書かれた個人、組織・会社などからの反響は「ありがとう」から「どういう趣旨でこんな切り口で書いたのか」まで様々です。ただ、明快なのは「真実か、真実に近い」ことを書いている限り読者にも取材対象にも最終的には理解してもらえることです。

今はマスメディアから離れ、自分なりの発信力を試行錯誤している最中です。「さざ波を起こすことができる」という言葉の重みを小石以上の重さに感じます。マスコミにあぐらをかいていたわけではないですが、書いた原稿がどう伝えるか思案する日々です。SNSをはじめ個人の情報発信がネットを介して広がる時代です。マスメディアとの力の差を残念に思うことはありませんし、将来は大きな伝播力を持ちたいという野望を持って記事を書いているわけでもありません。私たちが目にすることはみんなそれぞれの思いで感じ、考えます。真実は人数分あるはずです。その自分らの真実や考えを自由に伝え、意見を交わす場がしっかりと確保しておきたいと考えています。もっとも、自分の書いた原稿が果たして海に投げ込まれる小石に値するかの疑問に立ちすくむ怖さだけは繰り返し続いています。

40年前にマザーテレサに会いにカルカッタ(現コルカタ)へ

マザーテレサさんと呼んで良いでしょうか。一度だけ遠目に見たことがあります。1982年、新婚旅行でインドのカルカッタ(現在のコルカタ)へ向かいました。もともとインド・ネパールの興味が強かったこともありますが、カトマンズに行くんだったらマザーテレサさんが活動しているカルカッタにも行き、できたらお会いしたいと思い付いたからです。最近のコルカタは知りませんが、もう40年ほど前のカルカッタはまさに想像を超える出来事が待ち受け、違う機会に詳細を紹介したいですがとにかくとても楽しかったです。妻は途中で体力を消耗し、倒れそうになっていましたが・・・。

マザーテレサさんが営む「死を待つ人々の家」にはバスで向かいました。確かタクシーは行ってくれませんでした。まあ、当時のカルカッタのタクシーは本当のタクシー運転手かそれとも全然関係ない人が運転手と自称している可能性もあったので、タクシーに責任はないです、きっと。

余談ですが、空港から市内に向かう時に交通案内カウンターの人にホテルのそばに到着するバスがどれを聞いて、当該のバスに乗り出発を待っていたのですが40分以上経過してもバス運転手は来ないし、出発する気配すらありません。外気の温度は40度を超え、バスにエアコンがあるわけがありません。さすがに耐えきれずカウンターに戻って確認しようと思ったら、先ほどの人とは違う人が立っています。バスは何時に出るのかと聞いたらまったく違う方向の停留所を指差します。「ここのカウンターに居た人に聞いたよ」と話したら、「そいつは通りがかりの人じゃないか、よくあることだ」と悪びれずに説明してくれました。絶句でした。

戻ります。マザーテレサさんのもとへ向かうバスはしばらく走ると、電柱か木々に縄が巻かれた地域に入りました。先端が小さな炎を出して燃えている縄もあります。周囲の雰囲気はホテルがある市街地と大きく変わっています。いわゆるスラム街なんでしょうか。すでにバンコク、カトマンズの街々を歩き回ってカルカッタにたどり着いていましたから、歩道で人が倒れていたり家なのかどうかわからない建物といった風景には慣れていました。「なんで縄から炎が出ているのか」と近くを歩いている人に聞くと、このあたりの家には火がないから必要な時に来るんだと教えてくれました。(注;本当にそうなのかどうかはわかりません)。

私たち二人は目的の施設に着き、シスターと思える人に「お会いできるなら会いたい」とお願いします。多くのシスターやボランティアが支援に訪れている場所へ何の手助けも考えずに「会ってみたい」というだけで訪ねてきたわけですから、大変失礼なことは自覚していました。ところが門前払いはされず、シスターの方は中に入り、マザーテレサさんに聞いたようです。「今は忙しいからお会いできない」と教えてくれます。当然の対応です。突然訪ねてきて、ただ会いたいだけ。不躾なお願いでした。ところが家の扉の向こうにマザーテレサさんが立っている姿が見えました。瞬間、感謝の気持ちで胸がフワッと熱くなりました。その後は有名な寺院や詩人のタゴールに由来する場所などを訪れましたが、最も鮮明に目に焼きついているのはマザーテレサさんの姿でした。

電柱や樹木に巻き付かれた縄の先端で揺れている炎に

40年前のカルカッタは訪ねただけでした。40年過ぎた今、再びコルコタを訪れたとしてもどんなことができるのか。ただ、これまでも、そしてこれからも電柱や樹木に巻き付かれた縄の先端で揺れている炎のように、なにかに使われるようなメディアとして燃えていたいです。

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