福島第1原発事故

「大熊町と言えないのが悔しい」浪江町に輝きが戻り、大熊町はまだ・・

「無知は怖い」を知りました。

 「東京の大学に進学した後、生活と仕事と地元について悩みます。友人らとの会話で出身はどこかなどが話題になりますが、大学は東京ですから福島県出身と丸めて説明できます。大熊町と言わなくて済みます。でも、地元とどう関わるのかを考え続けました。実家は解体されています。大学卒業後、会社勤めをしましたが、取引先からは『大熊町はないんでしょう』と言われます。反論できず笑ってごまかしてしまいます。言い返せないことが悔しかったです。一年あまり会社勤めした後、福島県に戻り双葉町で働くことを決めました。11月30日から大熊町の規制も一部緩和されました。この10年間を振り返り思うのは無知は怖いということです」

 小泉さんは講演の後、質問を受けてくれました。「厳しい質問からもしれませんが、大熊町が原発立地を受け入れたことを怒ったり恨んだりしませんか」と私はお聞きました。小泉さんは「中学生の頃、先生が授業で使う楽器を無料でもらったりと原発の恩恵があるんだといわれたのを覚えています。怒りを覚えたこともありましたが、この地域は原発と共に発展してきたと理解しています」と答えてくれました。また、他の参加者から「福島、大熊町で働きたいという人は実際、少ないでしょう」との質問がありました。小泉さんは「大熊町出身と話すこと、地元で働きたいという人は少数派です。でも自分は戻りたかった」とはっきりと答えていました。

 伝承館を訪れた当日、未明から福島県の浜通り地区は嵐に襲われていました。夜明け前から激しい雨と強風がホテルの部屋を打ち付け、外は真っ暗のまま。いつ夜が明けたのかわからないほどでした。前日までは伝承館に時間がかかっても歩いて行こうかと考えていましたが、JR常磐線が運行停止になるほどの嵐です。タクシーをお願いしました。

 道中、雑談になりました。タクシーの運転手さんは「ようやくお客さんが戻ってきた。国の施策で始まっている水素プロジェクト関連、団地関連の建設工事などで人の出入りが激しくなったからね。もし新しいコロナ株の感染が広がれば、せっかく戻っきたお客さんもまた萎むのか心配」と話します。

 伝承館は2020年9月、福島県双葉町に開館しました。双葉町は福島第1原発事故で全域が帰還困難区域と避難指示解除準備区域に指定され、2020年3月に伝承館から車で5分ほどの距離にあるJR常磐線双葉駅と一部周辺が解除されました。まだ町として基本機能は回復していません。

震災前の風景

震災前の風景

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