
坂根正弘のコマツ再生 カリスマ排し、現場力を信じる「当たり前の経営」で世界ダントツに
1991年春、東京・赤坂にあるコマツ本社屋上になった巨大なブルドーザーの模型が撤去された時、あの最強企業の時代が終わったのだと感じ入ったものです。
寂しかったです。10年前の1980年代、コマツは日本の製造業をリードする存在でした。トヨタ自動車のカンバン方式と並び称されたTQC(全社的品質管理)運動でトップに立ち、日本の製造業に世界最強に導く模範として疾走していたのですから。
カリスマが突然、社長をクビに
当時の社長は能川昭二氏。TQCを軸に最高品質を極める技術出身の社長として知られています。取材でお会いしたこともありますが、TQCを体現したかのように経営者としても実直そのもの。冗談を言ってもニコリともしてくれない怖さを感じました。でも、それが建設機械メーカーとして躍進するコマツの強さと痛感しました。強すぎる弊害と言ったら失礼ですが、時には取引企業に対する姿勢が横暴、横柄と受け止められ、尊敬されても好かれる企業ではありませんでしたが・・・。
ところが、能川社長は1987年6月に突然、首を切られます。1985年のプラザ合意で襲いかかった超円高を乗り切る経営戦略でコマツの実権を握っていた河合良一会長と衝突したのです。あまりにも無暴な人事は「コマツの政変」とまで言われましたが、河合良一会長にとっては雑音と同じ。子飼いの社長の首を取り替えたのにすぎません。
なにしろ、河合社長の父親、河合良成氏は吉田内閣の厚生大臣を務めるなど政治家の傍ら、戦後の労働紛争で経営危機に襲われた小松製作所に入り、再建。中興の祖と呼ばれるほど。コマツの創業家ではありませんが、創業家以上の権威を後ろ盾に長男の河合社長は1964年に社長に就任、世界一の建設機械メーカーである米キャタピラーに追いつけ、追い越せを鼓舞します。1966年に東京・赤坂の本社新築に合わせて交差点の象徴となった巨大ブルドーザーを本社屋上の設置を発案したのも、もちろん河合社長。
能川氏の後任に就任した片田哲也社長は、河合会長の意のままに動きます。バブル崩壊後、国内の建機市場は縮小する一方、円高で輸出採算は悪化。河合会長は目の前の危機を乗り切るため、コマツの経営を180度転換する決断を下します。脱建機の多角化路線を掲げ、半導体に進出したほか、住宅事業やソフトウェア、リゾート開発など何にでも手を出しました。
不採算の多角化を推進
結果は誰でも想像できるでしょう。創業以来、世界トップクラスの強さを誇った建機を打ち捨てて、新事業に進出しても所詮は二番煎じの技術レベル。専業メーカーに勝てるわけがありません。新規事業に合わせて人材や技術などに資金を投じるので、収益率は瞬く間に低下。組織は余分な人材を抱える贅肉で身動きできません。赤字を生み出す負のスパイラルが止まりません。
河合会長は1991年、自身が提案したブルドーザーが本社屋上から引き摺り下ろされる風景を見て、経営悪化の断末魔から逃れられないコマツに気づいたのでしょうか。1995年に会長を退き、98年には取締役も引きます。コマツのカリスマが見放したコマツは迷路を彷徨い、2002年3月期に巨額赤字の800億円を計上する窮地に追い込まれす。
2001年6月、片田社長から断末魔に喘ぐコマツを引き継いだ坂根社長は、再建に向けて「当たり前の経営」を決断します。「強みを磨き、弱みを改革する」。自社の強さを改めて見直して、身の丈の合った経営にコマツを戻すことでした。大胆な経営改革や突飛な発想などに頼らず、誰が考えても同じ結論に至る「当たり前の経営」を断行するのです。
坂根社長は強みを磨き、弱みを改革
坂根社長はコマツの強さの原点は建機と決め、経営資源を全て集中します。半導体など不採算の多角化事業は赤字を生むだけですから一掃、赤字の元凶となる固定費を徹底的に削減。余分な人材についても、「一度だけ」と説明して早期希望退職を実施し、改革の痛みを極力抑えます。
「当たり前の経営」はわずか1年でコマツを黒字へV字回復させました。魔法によって社長1人で黒字転換できるわけがありません。コマツ本来の強さである現場の力を引き出しただけでした。
坂根社長の素晴らしさは現場全員が理解し、一丸となって実現できるターゲットを設定したことです。ライバルのキャタピラーが絶対に追いつけない圧倒的な製品開発を訴え、その場しのぎの成果を求めませんでした。
その代表例が「KOMTRAX(コムトラックス)」。販売した建機すべてをネットでつなぎ、GPSを使って世界で稼働するコマツの建機が「いまどこにあって、どれくらい動いていて、燃料はあと何割か」をリアルタイムで遠隔管理するシステムを開発しました。24時間、世界で使われてる建機を監視しているので、今後の需要動向、求められるサービスなどのデータを収集し、建機メーカーからデータでも稼ぐコマツに転身しました。
日立の川村社長も当たり前の改革で再生
東芝、日立製作所・・・日本の優良企業が経営危機に陥り、七転八倒する姿を見てきました。再建できるか、奈落へ向かうかの境目は「当たり前の経営」できるかどうかです。日立は2009年3月期に7800億円を超える日本の製造業として過去最大の赤字を計上しましたが、日立復活の改革に邁進した川村隆社長も誰が見ても選択するであろう事業整理を実施する一方、社員ら現場のやる気を引き出すことに努めました。
坂根さんが証明した通りです。経営改革とは突飛なことせず、社内の現場が力を合わせれば、かならずV字回復できる。
今、経営窮地にある大企業を見てください。「当たり前の経営」ができているでしょうか。

