
文化庁 美術館に収益目標 達成できなければ閉館も 芸術も守れない日本の貧困
文化、芸術は、お金の使い道に困るほど豊かな富裕層が支えています。19世紀末の経済学者、ヴェブレンは「有閑階級の理論」で「富裕層は自身の社会的な地位を誇示するため、あえて高額な商品や余暇に費やす」と主張していますが、ZOZOTOWN創業で巨額の富を得た前澤友作氏が100億円を超えるバスキアの作品、スーパーカーをバンバン購入したり、「100万円以上のワインしか飲まない」と豪語するエピソードを知ると、納得します。
文化を支えるのは富裕層
もっと遡ってルネサンスを振り返っても、レオナル・ド・ダビンチ、ミケランジェロらもイタリアやフランスの王家や豪族、ローマ教皇ら強力なパトロンが支えられていました。どんなに素晴らしい文化、芸術を生み出しても、作家は誰かに頼らざるええない。ヴェブレンの理論は正鵠を射ています。
こんなの当たり前!日本の文化行政を指揮する文化庁は熟知していると思っていましたが、どうも勘違いでした。2026年度から5年間の中期目標として、東京国立博物館をはじめとする国立の博物館・美術館に対し、展示運営費の65%以上を入館料やグッズ販売などの「自己収入」で賄うことを求めました。2029年度時点で自己収入比率が40%を下回る施設は「再編(閉館を含む)」の対象にします。
美術館の運営予算の確保が難しいため、それぞれ自立する経営を試行錯誤して欲しいと考えたそうです。地方自治体の施設を民間に任せて運営する施策が広がっていますが、日本の文化を支える文化庁が自らの責任を放棄して、博物館を「収益事業」へと転換しようとする姿勢には呆れてしまいます。日本の財政状況は世界の先進国の中で最悪であることは承知していましたが、お金だけでなく知性についても深刻な貧困に陥っていました。
文化は元来、金にならない
そもそも博物館や美術館は、文化財の「収集・保管・調査研究」といった公共的な活動にあります。どう転んでも、短期的な経済効果を生むものではありません。だからこそ国立、公立を冠して継続的な運営基盤を固め、国の文化水準を支える役割を果たすのです。
文化庁が期待しているのは、集客力の高い企画展を開催したり、入場料を引き上げるといったアイデアをもっと捻り出して欲しいということなのでしょう。すでに姫路城などで実施されている訪日外国人向けに割高な料金を設定する、いわゆる二重価格の導入も検討課題に入るのでしょう。
「無い袖は触れない」と美術館の背中を押して、大胆な運営を求める文化行政へ大転換したつもりかもしれませんが、「お門違い」と笑われるだけです。
まず集客力の高い企画展を開催。日本ではモネやゴッホなどの展示会は連日、入場まで長い行列が続き、会場に入っても人がいっぱいで満足に作品を鑑賞できません。モネの巧みな色彩感覚、ゴッホのダイナミックな筆遣いを楽しもうと考えたら、「ガッカリ」の展示会です。世界的な名品をぜひ目にしたいと楽しみに訪れても、チラ見では満足できません。図録やグッズが好調に販売するのは確実ですから、自己収入の押し上げに貢献するものの、売り上げ至上主義のデパートのイベントとは訳が違います。
素晴らしい芸術作品でも、人気があるとは限りません。ゴッホは生前、全く注目されず、弟のテオが買い集めて生活を支えていました。だからこそ、美術館の学芸員らは100年後、200年後まで人類の宝になるだろうと信じて、まだ無名な作家の企画展を開催するのでしょう。
「文化は金にならない」。公的資金で美術館のみならず教育・研究機関の運営はここから始まるのです。
自己収入を増やすために入館料を引き上げる動きも出るかもしれません。誰もが気軽に文化に触れる機会が損なわれるおそれがあります。本来、日本の文化を支える文化庁が国民から文化を遠ざけるとしたら、「本末転倒」そのものです。
入場料の引き上げは文化を遠ざける
自己収入の確保が難しく再編の対象となった場合には、収蔵品の分散や研究活動の縮小につながる可能性もあります。仏像、絵画、浮世など日本の宝が幕末から明治への移行期に海外に散逸したことを思い出してください。現在は、文化は投資対象として巨額の資金が飛び交う時代です。美術館や博物館が収蔵できないとなれば、海外から多くのマネーが舞い込んできます。
日本はますます貧しい国になるのでしょうか。

