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東京・都市開発の癖を考える②三井不動産 江戸英雄、岩沙弘道の挑戦と創造、神宮外苑はいかに

  三井不動産の癖を解くカギは2つ。一つは「東京ディズニーランド」。今年で40周年を迎えました。もう一つは「明治神宮外苑」。同地区の再開発計画見直しの声が高まるなか、2023年3月に着工しました。このカギを握る人物はやはり2人。江戸英雄、岩沙弘道の両氏。テレビCMで「三井のすずちゃん」が再開発でこんなに街が変わると強調、都市再生に応える自社の力を訴えていますが、現在の三井不動産を理解するためにも江戸、岩沙両氏の剛腕を見逃すわけにはいきません。

江戸、岩沙両氏の剛腕は見逃せない

 なぜ、成功を収めている事例と現在進行中のプロジェクトを並べるのか。三井不動産の実力と執念、そして政治力が浮き彫りになるからです。大規模な都市再開発は国、地域の経済や政治が絡むのは当然。不動産大手が政治力を発揮するのは不思議なことはでありません。ただ、三井不動産の経営には色濃く出ているだけに、改めて一つの視点として眺める価値はあります。

 まず東京ディズニーランド。1983年4月15日に開業しました。端緒は遡れば1957年5月の東京・日本橋の三越本店屋上に開園した「こどもの夢の楽しい国!ディズニーランド」にたどり着くそうですが、浦安の埋め立て地で開業するまでの道のりは、長い歳月と数え切れないほどの難交渉が続きました。

東京ディズニーランドは住宅地に転じる噂もあった

 この辺の物語は映画になると思いますが、ディズニーのテイストと合わないかも。多くのメディアで語られているので省きます。もし映画制作されたら、主人公は江戸英雄さんでしょう。三井不動産の中興の祖というべきか、あるいは創業者というべきか。日本の不動産業の経営モデルを創り上げた人物の一人であるのは間違いありません。一度決めたら実現に至るまで全身全霊を注ぐ経営理念、その強い執念はその後の三井不動産の経営を決定付けています。

 私が新聞記者として入社した1980年代初めのころは、東京ディズニーランドは10年ぐらい営業したら住宅地に転売されるという噂が信じられていました。それほど日本で経験がないリゾート事業は難しく、これまで投じた人材や資金の回収を考えたら広大な住宅開発の方が収益が上がると誰も考えていました。その後の経緯や大成功は説明不要でしょう。

三菱地所に比べ手持ちの用地は2割以下

 どうして三井不動産は、果敢な挑戦を続けなければいけなかったのか。戦後まもない頃、財閥解体を解かれた後、地域開発できる用地規模は、発祥の地ともいえる日本橋のほかに大阪を加えても、三菱地所の2割以下。日本橋には三井創業の「三越」はありましたが、皇居、東京駅前に広がる丸の内、大手町、有楽町を抱える三菱地所には足元に及びません。日本を代表する大企業が本社がずらりと並びます。

 現在の日本橋の再開発をみてください。テレビCMなどで紹介されている「コレド」を思い出してください。三菱地所が再開発し続ける丸の内地区と比較するだけで、開発規模の格差がすぐにわかるはずです。

 だからといって日本を代表する財閥である三井が三菱の後塵を拝するわけにはいきません。浦安を埋め立てた東京ディズニーランドの成功だけで満足するはずがない。新たな再開発を果敢に取り続けます。

防衛庁跡地は高値落札で話題に

 東京・六本木の防衛庁跡地の再開発。三井不動産の落札価格が業界で語り草になった案件です。再開発で生まれたのが東京ミッドタウン。六本木に続いて八重洲、日比谷の3ヶ所あり、三井不動産にとってはホテル、オフィス、商業施設が一体化した最先端の開発モデルです。 

 国有地ですから再開発事業は入札で決まります。三井不動車は農業団体、住宅会社、保険会社などと6社連合で落札しました。落札金額(土地取得費)は1800億円。三井不動産は「都心に残された最後の大規模かつ優良な再開発案件のひとつ」と評価したと説明しましたが、入札した他の不動産会社からあまりの高額落札で驚きの声が広がりました。

 入札は高値だから決まるわけではありませんが、当然ながら金額は決め手の一つ。ただ、あまりに高額落札となれば再開発事業の収益は悪化しますから、通常は競り合う金額で収まります。ところが、「三井さんは、まるで100メートルのスタートダッシュのように飛び出していってしまった」と入札に参加した大手不動産の担当者は呆然としていました。

 後日談があります。ある三井不動産の幹部と雑談している時、「あの防衛庁跡地の入札は話題になりました」と話したら、「その担当者は私です」と打ち明けられ、二の句が出ませんでした。

日本橋の空から首都高が消える計画も

 カギを握るもう1人の岩沙さん。1998年に社長に就任した後、何度かお会いしています。お会いするたびに首都高に覆われる日本橋の風景を憂い、自動車道を地下トンネルに移し、かつての美しい日本橋に戻すとお話していました。それから20年過ぎた2021年12月、岩沙さんが夢にまで工事が始まりました。再開発の事業規模は1兆円。1企業だけで実行できるプロジェクトではありません。その剛腕には敬服するしかありません。当然ながら、今も経営の実権は岩沙さんの手中に収まったまま。

 神宮外苑の再開発にも岩沙さんの名前が登場します。地権者である明治神宮の「総代」として岩沙さんは、プロジェクトの検討段階から関わっています。三井不動産は青山周辺の土地を買収し地権者の一人となっていたほか、もう1人の地権者である伊藤忠商事とも周辺の再開発事業で協力しています。

 同地区にはラグビー競技場があることもあって、ラグビーが大好きな森喜朗さんの名前も出てきます。東京都の小池百合子知事が1年前に三井不動産の社長に会い、都民に理解を広めるよう要請したと説明していますが、もともと推進の立場である都知事が岩沙さんではなく社長に求めた図式を考えれば、何かが動くのかどうか。

神宮外苑はどう成功させるのか

 果敢に挑戦的なプロジェクトを成功させ、高級マンションの代名詞にもなっている三井不動産。神宮外苑の再開発をどのように成功させるのか。楽しみです。

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