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ほぼ実録・自動車史)日産② 破綻の予兆は10年前から現れる  再建シナリオを描くが、間に合わない!

「どんな大企業でも倒産するまでに10年間はかかる」ーー日本経済新聞社の記者として取材を経験を積み重ねた10年目のころ、実感した鉄則です。

 企業取材の第一歩は、財務諸表などを精査に調べ上げ、収益力、成長力を確認すること。でも、それで判明するのは実相の一部に過ぎません。それでは経営指標に隠れた収益力、成長力を測り切れません。見かけ上、どんなに高収益を上げていても、実態とは大きくかけ離れている”優良企業”は多々あります。

有価証券報告書では実力は測れない

 直近なら、ニデック。高収益企業であり、創業者の永守重信氏のカリスマ性も加わって株式市場で大人気を集めていましたが、この数年で不正会計とパワハラが横行する経営が発覚。決算をやり直した後は巨額の赤字を計上。高収益企業が巨額赤字企業に様変わりしました。株式上場も取り消し寸前の窮地に立っています。

 ニデックを担当する会計監査法人のPcWジャパンは2期連続して意見不表明を明らかにしていますが、長年にわたって監査報告を信用した株主らを裏切った事実は消えません。ニデックが発表し続けてきた有価証券報告書がいかに信用できない代物だったのかを示す残念な例ですが、果たしてニデックだけの異例事態なのでしょうか。

 財務諸表に潜む企業の危うさをどう見定めるか。有価証券報告書では見極められない企業風土を洗い出し、根深く組織に入り込んだ病巣を探ることです。

 「どのように経営決断を下し、組織が機能しているか」。糸口はあちこちにあります。社長はじめ経営陣の力関係、社員・社内の雰囲気と意欲、オフィスや工場の清潔さなどを取材を通じて得た体内センサーによって計測するのです。オフィスに張り出している掲示板やポスターなどもとても参考になります。企業風土をダイレクトに教えてくれる資料です。

 とりあえず、社内の空気を肌で感じてみてください。「へえ〜」という驚きとともに、自身が当たり前と思っていた常識と異なる違和感を覚える瞬間があるはずです。経営コンサルタントや会計監査法人なら、これぐらいでも十分に企業の実相に迫り、経営分析ができるはずです。

 申し訳ありませんが、新聞記者はここで満足するわけにはいきません。株式市場の優良銘柄を推奨するのが仕事ではありません。記者の本分は特ダネを探し回るオオカミです。(あくまでも個人の感想です)

 新聞の1面トップを飾る特ダネは、「犬も歩けば棒に当たる」で手にすることはできません。時には、たまたま幸運にも大ネタが手元にポトリと落ちてくることがありますが、宝くじを頼りに記者生活を過ごすわけにはいきません。こんなネタは例えが不適切かもしれませんが、「交通事故」と呼んでいました。

10年後のシナリオを考え、取材

 特ダネが生まれると狙いを定めた企業の10年後どうなるか、その予兆をどう察するのか。

 今後の3年後の業績などを予想するというよりも、5年後までの先行きを読み、10年後までの業績シナリオを書き上げます。

 例えば、こうです。

現在の社長が続投していたら、このまま右肩下がりに進むが、後継社長に社員から大きな支持を集める「あの人物」が指名されたら、再生への舵を切る可能性がある。しかし、社内の派閥力学を考えれば、社長の言いなりに右往左往する人物が社長になる可能性が高い。そうなれば社内の混乱を招く再建策は先送りとなるだろう。そうなれば再建どころか業績は一段と悪化する。3年後に赤字が顕在化しても、経営陣は処方箋を描けない。5年後まで再建の手応えがなければ、10年後の結論は・・・

 実際のシナリオは開発、生産、販売などについてより詳細に考え、取材を重ねながら書き直し続けます。見通しの違い、正しさを照らし合わせながら、精度を高めていきます。

 日産自動車に話を戻します。バブル経済が始まる1989年の時点で、日産が近く倒産すると考えていた人はほとんどいなかったでしょう。

 取材現場では、このまま日産の経営が変わらなければ、3兆円を軽く超える経営破綻の悲劇が待っていると直感していました。

 早速、取材勘を信じて経営破綻の年を10年後の1999年に照準を定め、シナリオを書き始めます。(注;ちなみに1999年は日産がルノーと資本提携し、経営破綻をなんとか回避した年です)

 もちろん、今後1、2年の業績推移を視野に入れてシナリオを書き換えていきますが、日産社内の危機感が薄く、実際にどのくらい大胆に再生策を決断できるか、そして社員が一丸となって再生策に挑むのかに疑いが消えませんでした。

 なにしろ、日産の社員は優秀な人材が集めっていましたが、まるで評論家のように日産を観察し、自社の問題として共有できていなかったからです。これじゃ経営再建なんてできるのかとこちらが不安になるほどでした。

 ところが、まだ甘いシナリオでした。財務に詳しい人材らを加えて、議論して今後の日産をシミレーションしたら驚く結論が出てきました。「3年持つのかどうか」。思わず、エッと声が出ました。

予想通り?3年後には経営危機が待っていた

 日産は予想以上に傷んでいました。1980年代から米国、英国などで工場の建設、あるいは現地自動車メーカーとの提携を重ねる一方、「技術の日産」を掲げたブランド戦略の下で高級車、スポーティーカーを相次いで発売していました。

 一見、行け行けドンドンの勢いは大躍進に映りますが、裏返せば開発、生産、販売いずれも身の丈を超えた業容に拡大していました。無駄を省いた筋肉質なら問題ないのですが、内実は皮下脂肪たっぷりの企業体質のままでした。図体が大きいだけに、転ぶと立ち上がれません。

 シナリオを描き始めた当時の1989年、90年は「シーマ」「シルビア」などが大ヒット、バブル経済の追い風を目一杯享受していました。案の定、バブル弾けたら「裸の日産」が現れました。

 予想通りというか、予想を上回るというか。業績予想は真っ赤か。1993年には座間工場の閉鎖などに追い込まれる経営危機説が流れ始めました。=続く

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